’&'-空の向こうで咲きますように`&'-空の向こうで咲きますように- 初回版出版社/メーカー: 暁WORKS発売日: 2012/03/30メディア: DVD-ROM クリック: 19回この商品を含むブログ (25件) を見る

&は恐ろしい悪魔のシンボルだが
宝物のシンボルでもある。
ややこしい。


るいは智を呼ぶが凄い良かったので楽しみにしてたんですが、ちょっと期待外れだったかなという印象ですね。悪かったというほどではないけれど、期待値高すぎたかも。


個人的に引っかかったのは、今回のモチーフが「道具」というところですね。
るい智で言う所の呪いのように人から離れないものではなく、麗シナリオでは手放されてしまう。
タイトルにあるような「空の向こうで咲きますように」ということの意味は、つまり、いずれ誰かが使いうる可能性ということです。ですがそう読んでしまうと、もともとが所有者の願いであるということの意味が薄れてしまいます。本人の手を離れた願いってもう願いとは別のものだと思うんですよね。あまり上手くない気がするのです。
ジョウビレックスの存在も含めて、いったん生まれた道具は生まれにかかわらず新たな在り方を持つことが出来ると読めばいいのかもしれないですが、ちょっと無理筋という気がします。


道具についての違和感は大体こんなところで、「願い」については麗のリンギルによる人の願いを押しのける力とかはそれっぽくて良いなと思ってたんですけど、やっぱ手放してしまうというのがな…という感じ。
るい智で言う所の「僕らはみんな呪われている」って、ある種の事実だと思う訳です。るい智では呪いを解こうとしたりするけれど、根本的な世界観として、皆何か制限を受けていて純粋な意味での自由は持てない、世界というのはそういうものだという認識があると思います。翻って、&はどうかというと。
世界にある人による違い、才能、富など、不平等と、道具を持つということの何が違うのかという作中の問いに上手く答えられていないんですよね。道具は特別だと言ってしまっていて、単にそれだけになってしまっている。そうなると、道具が世界にある不平等に対する例えにならないんですよね。
こちらも未来にいずれ使いうるということにすれば、解釈できないことはないですが…。


あと、章子の扱いはちょっとかわいそすぎると思います…。
総じてちょっとモチーフが多すぎる気がしますねえ。後主人公の声が中途半端につくのもよく分かんなかったです…。
ここまで全然褒めてないんですが、キャラは良かったんです。束沙とか珠璃とか好きですね。珠璃は声の印象が強いですけど。

真剣で私に恋しなさい!S

真剣で私に恋しなさい!S 初回版

真剣で私に恋しなさい!S 初回版

大和父「それは一生付き合えるほどの覚悟か」
大和「もちろん。責任とはそういう事だと思う」
(中略)
大和父「では簡単なことだよ、大和」
大和父「押し倒して、再びモノにしてしまえ」
マルギッテルート


完璧ネタばれです。クリア後推奨。

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春季限定ポコ・ア・ポコ!

春季限定ポコ・ア・ポコ

春季限定ポコ・ア・ポコ

人生はね、ポコ・ア・ポコなんだよ!


ミドルプライスなのが結構いいよなと思うところです。作品規模的にもちょうどいいですし。


システムが結構気が利いてて良いと思います。バックログでそのシーンに戻れたりとか、選択肢まで飛ぶとか、クリアしたヒロインのシナリオには後から直で入れるとか。音声ブーストは僕は使わなかったんですが、もともと音声ちゃんと聞かずにクリックしてるので、試みとしては面白かったかなと。

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UN-GO episode0 因果論

叫びだよ
UN-GO episode0 因果論」


たまたま気が向いたので観に行ったのですが、因果論はちょっと出色の出来でしたねえ。一週間くらい前に半分くらいまで見たところで行ってきたのですが、いいタイミングだったなというところ。


因果による質問、一回だけ真実を答えさせられてしまうということの意味、性質が明かされることにより、本編で描かれたものがくっきりとした輪郭を持って現れたように思います。御魂が何かということの意味は本編ではあまり触れられないところで、後からその意味が明らかにされるため、今まで見てきたものを全く違った印象で振り返らされます。


敗戦探偵という言葉の通り、ある意味でこのエピソードは彼が敗北後となるまでの物語と言えるのではないかと思います。因果論における新十郎*1は、まだ純粋な善意の元に行動していて、それに挫折する前です。そんな中、因果と出会うことにより、自分の真意、真実を手に入れる可能性を得ることになります。しかし、世良田と別天皇との対峙のときにそれを自ら放棄してしまう訳です。因果の能力は一度きりしか効果がないので。
そのことによって、彼は永久に自分の真意を知る機会を失うこととなります。何が真実かなんてあんたなんかに決めさせないという由子の言葉の元に、一つの真実を諦め、決定的なその機会を失った後に生きていくこと。それを決定づけるその「質問」で、「彼女」を失ったという真実を答える。真実なんて必ずしも良いものじゃないということを描きつつも、真実を明らかにする因果と共に歩む。
人は必ずぶれるもの*2という話がありますが、そういった複雑さがよく表れていたように思います。


ということで、UN-GOについて一話から見返したいと思わされるくらいいい話でしたねえ。最後にOP流す演出なんかもはまっていると思います。

STAR DRIVER 輝きのタクト

「お前の息子は、お前と同じだ。他の人間には見えないものが見えている」
「一体あいつには何が見えてるんだ」
「俺やお前にはもう、見えないものさ」

タクトによって執拗に繰り返される「僕には見えている」という言葉。ザメクの王の柱の中で、「一面の青い闇の中で、自分の居場所も進む方向も分からないまま」でも見えるもの。「実際には」周りは一面の青い闇で、何も見えません。でも、彼はそれでも見えていると言います。それは実在しているものではなくて、タクトの中だけにあるものです。
そしてそれは、今あるものとは違う、未だ現れていないもっとすごいものではないかと思うのです。無いものだから誰も見たことがないし、分からない。


対照的に、スガタは今見えているものを大切にする人だと思います。
「与えられた役割を演じるのは得意なんだ」という彼が、ラスト「凄い空だな」と言い、タクトが「ああ……。でも、僕たちはこれから……。これとは違うもっとすごい空を、きっと見るさ」と返すのは本質的で。
「本来ならばこの物語の主人公はスガタであるが、タクトが来たことによって変わってしまった」*1みたいな話がありますけど、タクトが来る前、スガタの物語であれば現状見えている最善になると思うのです。例え彼が犠牲になるとしても。
ただ、タクトの物語は、未だ見えていないもっと良いものを見出す物語である。
「人生という冒険はつづく」という言葉によって閉められるこの物語は、この先のもっとよき可能性*2を見せて終わるものだったと思います。


真面目な話はこれくらいにして、ヘッドの「何が綺羅星だよ、馬鹿馬鹿しい」はマジ名台詞だよなーと思いますよ、ほんと。タクトに向けてツナシ家のサイバディとか言いつつ、同じ男から剣を教わったとか言う辺り、ほんと屈折してるよなーという。本編終了後はサカナちゃんに土下座するんだ!という感じですねwwww。