天使の羽根を踏まないでっ

天使の羽根を踏まないでっ 初回版

天使の羽根を踏まないでっ 初回版

──きっとこれは、神様を×す、物語。

全体的な構造の見せ方が上手いゲームだなと思いました。全く異なる太陽の学園、月の学園から始まり、全体的な世界設定、謎をそれぞれのシナリオで別の側面を見せたり、違った描き方をすることであったり。「天秤」の使い方とか、羽音の魔術に対するTRUEと羽音のシナリオの扱いとか、憩先輩の「わたしの指先を、友人に向けずに済んだのです」とか。
逆に言うと、シナリオというのは設定から組み上げられていると言っても、過言ではないと言えるかなと。ネタバレ的な意味で言ってもいくつもの「シナリオ」が用意されている訳ですから。
というところで余談。月の学園シナリオやってて、あやめが魔術全然使わなくて違和感があったのですが、それぞれの適正ということを考えると納得できます。ホルバインに言われているように、あやめは本来であれば太陽の学園側の生徒です。だからこそ、太陽の学園だと奇跡を使えるけれど、月の学園では魔術は使わないのかなと*1。あと、空ちゃんはTRUEから考えると太陽側ですかね。あの人の代わりと考えると、むべなるかなという感じ。


とにかく、メタメタしいですよね。やった人ならみんな思うと思いますが、キャラクター名まで意味があるって言っちゃうのかよwwwwという。そうなると、その設定の整合性や論理性がどれだけ高いレベルで作られているかというのが、作品の価値をほぼ決定づけてしまうのですが、設定について*2面白く読めました。
七つの大罪のあやめ、トロ以外の扱いがイマイチとか、「神」周りもちょっと物語に求められているところからはみ出しかけてるかなとか気になるところはありましたが。サブカルチャーとかプレイヤーのような作品外を暗示しすぎてて、元々メタな作品としてもやりすぎな印象だったので。


ほんとにメタメタしい作品ですけど、だからこそ気に入っているというところもあります。

「──あやめよ、己の中での神を欲するな」
「己の中での神を欲するという事は、縋るということ。そして縋るということは、判断を委ねるという事だ」
「神が正しいと言うことは善。神が間違っていると言うことは悪。──そこには最早、汝はいない」

というのが、内田樹で言う所の*3「メタ・メッセージ」であるからです。この作品のメタっぷりからすると「作者」をすごく要請したくなるのですが、繰り返されるこのメッセージからすると、「神」は望まれていなくて、それぞれがそれぞれに判断していくことが望まれている。こう読める、というかこう読まざるを得ないというところが良いかなと。作品描写としても、あやめが「先生」を疑うようには進んでいても、先生のこの教えまで信じないとはならないですよね。


あとは、女装主人公たるあやめが好きですね。とかく、「男らしい」主人公というのは自らの正しさを声高に唱えがちなのに対して、先生の教えを元にして取り乱すことなく、柔らかい彼が。そんな彼を主人公として語られる、「やさしい」物語は「もっともっと聴かせて」と思わせるものでした。

*1:トロが、お前もあのくらいなら出来るとは言ってるので、可能性としてはあるかもしれません。

*2:というか先生による解説とか

*3:http://blog.tatsuru.com/2010/11/06_1744.php