キラ☆キラ 千絵シナリオ

以下ネタばれです。

『ロックンロール!』


千絵姉は、
「もっとお互いが理解しあえたら、こんなことにしないですんだのかもしれないねえ」
と言ってるんですが、彼女は、ラスト直前においてもいつか鹿之助が離れていってしまうのではないかと怯えているというか、どこかで確信しているようなところがあります。この辺りって、変わっていってしまって違うものになってしまう、つまり理解できないものになってしまうとことに対する恐れなのではないか、と思いました。
半田さんと話していたときに、別れてしまう理由として気持ちが変わってしまうことを挙げていますけど*1、こういうものを怖がっているような感じがします。


それで、この辺りがシナリオとして否定される理由について考えていたんですが、理解というものはそのときのその人についてという一時的なものだからなのではないかと思いました。

「理解することで、それまで見えなかったものがたくさん見えて来るようになるでしょ……そしたら、新しく、怖いものとか、いやなものとか、また、たくさん見えてくるよね。もしかしたら、それが不安なのかなって」

前に進むってそういうことなんだという通り、そういう風に動いて、変わっていくものだと思います。


千絵姉のシナリオで僕が一番好きなところは、実は翠のセリフです。
千絵姉について彼女が話しているところで、

「つまりあれです。心の辛さなんて、他人にはどうせわからないんです。前島さんが千絵さんの辛さが分からなくったって当然です」
「う、うん」
「だから、決して、安心なんかしないでくださいよお!」
「安心?」
「そうですよ。本人が言わなくても、もっと辛い事とか、複雑な気持ちとか、もっと違う感情とか、千絵さんの中にはたくさんあるかもってことです。いい加減に考えたら、ダメですよお。女の子の心の中は、お化け屋敷なんですから」

と言っている辺り。「だから」で、順接でつないでいるとことか特に良いです。
ここって、理解ということを否定しているんですよね。他人から見てはっきりと分かるメーターなんかないという話の後に来ているし。
そして、理解って、千絵姉の言う「不安」の対義語である「安心」だと思います。ここでは安心するなと言っているんですけど、それは理解しようとするプロセスを終わりにしてしまうとか、これで永久に変わらないと思うとか、そういうことを思うなってことではないかと。

「ねえ、千絵姉、俺はさ、どんな場所にだって、楽しい事や嬉しい事はいっぱいある気がするんだよ」
「どんなに頑張ったってものごとは変わるものだし、変わったら変わったで、別の楽しいこともあるよ」

それをやるために、こういう考え方なのだと思います。誰だって嫌な事しか先になければそこに行くのは嫌ですけど、必ずしもそうではなければ少しはましです。
ロックンロールというのも、時には「行動第一主義」で、先に不安があってもとにかく前に進んでみるって感じではないかと思います。人の見ているところで、二人で円陣組んで、ロックンロール!とか叫んじゃったりして、その声が見上げる青空になんて、千絵姉、なんとかやっていけそうじゃんとか、そんな事を思いましたよ。

*1:正確にはそうなのだろうかと疑問に思っているのですが