Fate/hollow ataraxia 感想

Fate/hollow ataraxia 初回版(DVD-ROM)

Fate/hollow ataraxia 初回版(DVD-ROM)

(ネタばれを含みます
あと結構長いです)


Fate/hollow ataraxiaは、その者が抱いた純粋な思い、己をかけて貫いてきたその在り方を肯定する作品だと思います


ランサーであれば、「命が尽きるときですら膝をつくことがない栄光と引き換えに、誰よりも早く燃え尽きる」と言われた戦士になるという未来をためらわずに選び、自分に与えられた運命として受け入れ、駆け抜けていくこと


他人から見れば、決して幸福とは思えないような人生であったとしても、彼は

未練?無念はあるが、まあ、未練はないわなぁ

と言ってのけます


ライダーであれば、たとえ過去に誤ったことをしてしまったとしても、今抱いた思いは決してその過去によって否定されることはないということ


ライダーは、自分が守っていたはずの姉たちを化け物になることによって殺してしまいました
そして、ゴルゴンではなくなった今であっても、自分の中の怪物がいることに気づきます
そんな彼女をメデューサに戻したのは、自分と同じ運命にある桜への思いです

叶えられなかった私の幸福。
償えなかった私の罪行。
─あまりにも身勝手な、愚かな少女の精一杯の強がりを、
深く深く愛したのだ─

そしてそれこそが、怪物と彼女を決定的に分かち、アンリマユに、

───みっともないが、誰かを助けたいという気持ちがあるなら、アンタはぎりぎり英雄だ。

と言わしめます


葛木であれば、殺人を犯し贖罪としてその人生を何も求めず、何も得ないものとしようとした彼のキャスターのキャスターを救った行動です


葛木は殺人をするために道具として育てられましたが、その技能も実際には全く必要ないものでした
そんな彼は、自ら意識しないまま、彼が殺してしまった者のこと、そのためだけに過ごしてきたという自分の二人に対する贖罪として、その人生を何も求めず、何も得ないものとしようとします
そんな彼を変えたのはキャスターとの出会いであり、それは、贖罪だけを考えてきた彼に

───私は、ずっと昔から、
漠然と抱き続けてきた、
───"誰かのため"に、なりたかった。───
その、純粋な憧れに。

と気づかせます


キャスターであれば、ひたすら裏切られてきた人生でも葛木のことを何よりも大事に思ったこと


幾度も幾度も、利用され、裏切られてきたメディアは、裏切りの魔女と呼ばれることになります
しかし、彼女は葛木とで会うことにより、贖罪のように思い続けてきた「帰りたい」という思いを否定すること、

…本当、気の回らない人。立ち寄った場所を気に入って、空を忘れる渡り鳥だっているでしょうに。
そんな都合のいいことを、思いもしなかったなんて。

と言わせ、二人は束の間ながら、今までの何倍も、人間らしい平穏さに満ちる生活を送りました


カレンであれば、自らの体がどうなろうとも、「この世の全ての悪」と呼ばれるアンリマユさえも受け入れてしまうこと


悪魔が近づくと、自分の体にそれが現れ、その体が傷つくにもかかわらず、

…ええ。私はこれ以外の道を知りません。
これが私の運命なら、その定めに従うまでです。

として彼女はそれを受け入れます
それは、

辛いですが、意味のある犠牲です。
自分だけが、という理不尽に嘆く事もない。霊障に苦しむ人が、私の体で救われるのですから。

という彼女の、誰かを救うために受け入れるということです


そんな彼女に、アンリマユは

……なんのことはない。
気紛れのつもりだったが───オレは本気で、この女が、欲しかったのだ。

と思います


アンリマユは、「この世の全ての悪」にもかかわらず、自らが抱いたたった一つの小さな願いのために、その身に与えられるはずだった日常という名の小さな幸せを捨ててまで、バゼットを先に進ませようとしたこと


「この世の全ての悪」として生贄となり、人のための犠牲とされた彼はそれにもかかわらず、「普通」であり人として弱いバゼットを助けます

自分が嫌いで、一生好きになれなくて、それが分かっていながら、少しでも上等な自分になりたくて足掻いてきた。
オレはそういう不様なヤツがいい。結果はどうあれ、自分のために進むやつが好きなんだ。

そんな彼の思いが、死ぬことを恐れ、自分を嫌って楽園で停滞していたバゼットがその先へと進む力になります


そして、バゼットならばどんなに不器用であったとしても、強くあろうとしたこと
アンリマユのせりふで上げたように「この世の全ての悪」と言われた彼に、彼女の在り方は肯定されます
そして彼女は、そんな彼に後押しされて、楽園に別れを告げ外の世界へと踏み出します


この物語は

それが可でも不可でも構わない。
そもそも現在を走る生き物に判断など下せない。

全ての生命は。
後に続くものたちに価値を認めてもらうために、報酬もなく走り続けるのだ。"

として、そんな彼らが走り続けることそのものを肯定していると思うんですよね


こういう視点でFate本編を見てみると、
第一章であれば、セイバーの自分が成そうとしたこと、そのために貫いてきた自分のあり方を受け入れること
第二章の正義の味方になりたいと思った思いを、「間違ってなんかいない」として貫こうとすること
第三章の自分自身のルーツである正義の味方を捨てても、桜を助けたいという思いを守ろうとしたこと
などhollowで描かれたものと非常に一致するように思います


Fateで描かれる正義の味方という在り方は正直あまり賛同できなかったのですが、
(三章で桜を正義の味方であるために殺すというバッドエンドがありましたが、少数を切り捨てても多数を助けることでしか正義の味方というものができないと描かれていたように思うので)
このhollowをやった後に考えてみると、正義の味方というものは実際には存在できず、あるとしても非常に歪なものに成ってしまうが、それでもその正義の味方に憧れるという思いそのものは間違っていないんだということだったのではないかと思います


ファンディスクにもかかわらず純粋に本編を受け継ぎ、本編ではあまり描かれていなかったキャラ、hollowになり新しく登場したキャラまで広げて、その者が抱いた純粋な思い、己をかけて貫いてきたその在り方を肯定するものとして描ききったことは本当にすごいと思いました
奈須さんはファウストなどでもまた書くようですが、ゲームシナリオライターとしての今後を本当に楽しみにしたいと思います