Angel Beats! 10話 Goodbye Days

ユイから「けっこん」という言葉が出てきた背景から考えたいと思います。


バンド、野球、サッカー、プロレスがやりたいと言ったユイに対して、

つうか、テレビで見たものばっかりに憧れてるんだな

と音無くんが言います。テレビを見るしかなかったユイは、だからこそそこに映される自分の出来ないことに憧れた。恋愛ドラマを見る描写とかはなかったですが、そういったものに憧れたととるのは自然なことでしょう。マラドーナの五人抜きとか、プロレスの猪木?とか、テレビで良いとされそうなことをベタに良いと思ってそうな雰囲気がある。「女の究極の幸せ」なんて言葉もその程度のものとも取れるんですよね。
次。この言葉が出てきた理由として、無理難題をつきつけるためというのはやっぱあると思うのです。
これとかこれに賛成で。流れとしては、ユイが音無になんでこんなことをしてくれたのかと問いかけ、音無がそれをはぐらかし、「じゃあ、もう全部叶ったのか?」「その、体が動かせなかったときにしたかったこと」と聞いた後です。
ユイは音無がユイを満足させて成仏させようとしたことを分かっていたんじゃないかと思います。彼の一方的な押し付けを引けるために、わざと言ったのではないかと。直後の「じゃあ先輩、わたしと結婚してくれますか」なんてまさにそうで。これはイエスを期待しての言葉ではどう考えてもないですから。


んで三つ目。結婚ということをユイが言う理由として、彼女の幸せには彼女自身のことだけでなく、彼女の母親の幸せというものが含まれるからだと思います。個人だけでは成り立たない、彼女の家族も含まなければ、彼女は幸せになることが出来ない。そう考えると、彼女からその言葉が出てくること自体は不自然ではないかと思います。
ユイが結婚と言う言葉を口にした背景には、少なくともこれくらいはあると思う。


そして、日向君。
これ、話の内容が重要ではないと思うわけです。ユイは否定させるためだけに音無に無理難題を突きつけた。けれども日向くんは、ユイの話を聞いて、その上で無理難題をやってやると言った。
彼の応答はユイの言葉を受けてのものです。ホントのあたしを知らないというユイに対して、どんなハンデを抱えててもと言うし、歩けないし立てないと言われたことに対して、歩けなくても立てなくても、子供が産めなくても結婚してやんよと言う。決して彼が先に言った訳ではなく、あくまでユイの言葉に合わせて言っている。
寝たきりだから出会えないというユイに対して、野球をやってるから出会えると言う日向君。映される三人での幸せな姿という幻想は、彼がユイのために構築した物語だと思うのですよ。「そういうのはどうだ?」と彼が言うように、ユイに向けての語りである。彼女が成仏したのは、そんな彼のフルスイング、本気を受けてだと思うのです。決して言葉そのものなんかじゃなくて。
あくまでユイの事情、意思に寄り添ってくれた日向君はすごくかっこいいと思うのですよ。