楽園肯定の動機

あんなコメントした後で言うのは良くないんですが(あんまり考えずしたことを反省してます)、本編の続きかどうかを検討することより、「楽園を終わらせてしまうことが何人かのメンバーにとって終わってしまうことかどうか」だけのほうが僕の主張にとっては重要なのでそうしといてください


そもそもそういったことを考えた理由として、セイバーとかキャスターとかイリヤとかがこの楽園が終わるのを嫌がる理由は、終わったら消えてしまうからに見えたからです


楽園が終わってもい続けることが出来るならセイバーは約束すればいいし、イリヤも楽園を終わらせたくないと思う理由は特にない(そのためイリヤなりの抵抗などという言葉が出てくるのはおかしい)し、ブロードブリッジで葛木がこんな機会はおそらく二度とあるまい。と言ったり、悔いを残すなと言ったり、キャスターは日々の終わりを残念そうに受け止めるとかそういったセリフはちょっと変なものになりますし


キャスターはギルガメッシュに殺された記憶があるってことはつまり死んでいるはずだってことで、今生きているのが楽園によるものだから、それを否定するということは消えてしまうということだけれど、それでも葛木の意思に沿おうとするというのがブロードブリッジのシーンだと普通に思っていたので


セイバーの

仮に終わりがあるとしても、それは別れではありません
(中略)
ええ─私たちはそれぞれ、望んだ未来へ帰るのです

っていう台詞も、楽園否定したときに消えた方が(士郎のそばからいなくなるということ)すっきりしますし
この帰る先というのはアーサー王としての最後だと思っています
(その意味でjudgeさんの「『Fate』本編に回帰する」というのはすごく近いですね)