電波的な彼女と春季限定いちごタルト事件

ライトノベルファンパーティーのコメント募集が始まったらしいので、しばらく様子を見て、良かったら電波的な彼女 (ISBN:4086302063)、ルナティックムーン、春期限定いちごタルト事件(ISBN:4488451012)あたりにコメントしたいと思っているので、電波的な彼女を読み直してます
とは言ったものの、自分が見てるサイトの人がどんな本について書くか、それはどんなコメントか、と言うのを見るだけで楽しいと思うので、個人的にはあまり参加することに意義はないのかもしれないですが


で、読んでて思ったのですけど、ジュウと小鳩くんって、自分がどうしたらいいのか良く分からないから、とりあえず何か自分でないものによって価値判断をしておこうという考えがあるなと思いました
ジュウだったら不良で、小鳩くんだったら小市民
彼らにとっては、自分であると言う選択肢がない
そうなるに至った過程はそれぞれですが、要は自分に自信がない、自分自身で選択すると言うことに耐えられないということです


でも、その何かを本気で信じているかというとそんなことはなく、小鳩くんだったら小市民たれと思っているはずなのに推理をしたり、ジュウは不良と言うものによく違和感を覚えたりしている
どっちつかずの中途半端なまま、なんとなく居心地の悪い現在にいる
こういうのって、非常に現代的じゃないかと思いました


自分は信じられないけど、その代わりに何があるのかと見渡してみても何も見つからない
と言うよりは、代わりに何かすごいものがあると言うことが信じられない
とりあえず、今の自分を全否定するのは駄目なんだろうなと思うのですが、こういうのってきついなあと思います