Angel Beats! 12話 Knockin' on heaven's door

順応性を高めなさい。あるがままを受け入れるの

ここから消えたら、やり直せますかね。こんな当たり前の幸せをあたしは、受け入れられますかね。
記憶も失って、性格も変わって。ならできますよね。でも、だったら生まれ変わるって何?それはもうあたしの人生じゃない。別の誰かの人生よ。人生はあたしにとってたった一度のもの。それはここに、たった一つしかない。これがあたしの人生。誰にも託せない。奪いもできない人生。押しつけることも、忘れることも、消すことも、踏みにじることも、美化することも、何も出来ない。ありのままの、残酷で、無比なたった一度の人生を受け入れるしかないんですよ。先生、分かりますか?だからあたしは戦うんです。戦い続けるんです。だって、そんな人生、一生受け入れられないから!


つまるところ、ゆりっぺの言葉によると人生というのは「何も出来ないもの」です。良い意味でも、悪い意味でも。他人でも自分でも。
唯一、受け入れるということしか出来ない。
神になるということは、その理不尽を壊すことです。この世界は、「ありはしなかった青春」を楽しむためにあり、そしてそれを楽しめば去っていく処であるとするならば、その限りを壊し、永遠の楽園としてしまうこと。一話でこの世界は抗い続けることができるとゆりっぺが言っていましたが、一生受け入れられない人生を受け入れずにいることが出来る。そのために彼女は戦ってきた。


であるけれど。

にしても不覚だ。あんたたちが誇れるくらい、あんた達だけを愛する姉でいたかったのに。

つまるところ、自分の心が変わってしまうことを受け入れるということは、ある意味で人生の理不尽さを受け入れるということとほとんど同義です。
自身の満足によってこの世界から出ていく=成仏するこの世界にとっては、他人にどうされるかということが必ずしも重要ではなく、そのことによって自分がどうなってしまうかということこそが焦点です。岩沢や、日向や直井などでも、何かがあって、それに対してどうだったかということが描かれたじゃないですか。つまり、人生というのは自分のことである。
だからこそ、自分が思ったようにあることが出来ないことを受け入れてしまうことがそれも含みこんだ人生も同様であると受け入れることになる訳です。


あと、今週印象的だったのは、「人間というものは、たったの十分だって、待ってくれないものなのよ。」です。二話の三十分と繋がってるという話はもちろんですが、待ってくれないものと言う立場は理不尽の側です。つまり、このときゆりは理不尽を為す側に立ったんですよね。
この意味をちょっと測りかねてるんですが、これも理不尽を受け入れると読んでみてもいいのかもしれません。
例えば、理不尽でないというのはどういうことかというと、かわいそうな人は報われるべきだという価値観があるとします。それには理がある。
それと同様にして、直井がかつて言ったようにこの世界に来た人たちは皆一様に悲惨な人生を送ってきて、だからこそこの世界で神になる権利がある、とする。
その理をゆりっぺは壊したということになると思うのですよ。


というところで、とりあえず卒業準備おしまい。最終回で満足して成仏します。