Angel Beats! 一話 「邪悪なものとの出会い」

順応性を高めなさい。あるがままを受け入れるの

「邪悪なもの」を構成する条件はとりあえず二つあります。
一つは、「それ」とかかわるときに、私たちの常識的な理非の判断や、生活者としての倫理が無効になるということ。「どうしていいかわからない」ということです。
(中略)
もう一つは、だからといって何もしないで手をつかねていれば必ず「災厄」が起こるということ。
「邪悪なものの鎮め方 内田樹


Angel Beats!の世界、というか麻枝准という人の描く世界は、人の判断や行動というものがほとんど有効に機能しないと思います。内田師が言うところの「邪悪なもの」である。
今回音無くんが「常識的なこと」をしばしば言いますが、そのことはこの世界ではほとんど意味をなしません。
ゆりっぺの銃を指して、「それって本物の銃?」、天使を指して、「どう見たってあれって普通の女の子じゃないか」、天使を撃って、「もう充分だろう」と言うことなど。
ここに置いて、彼の常識というものは覆されてばかりです。まるで、ここが常識が通用しない世界であるということを示さんばかりに。


だからこそ、ゆりっぺは「順応性を高めなさい」という訳です。彼女は天使に抗うことにより、この世界に存在し続けるという立場を取っている。
内田師の語る「邪悪なもの」への対処からすると手をつけかねると災厄が起こると言われるけれど、この世界でもゆりっぺが「何もしなければ消されるわよ」と言います。つまり、意識的に反抗していかなければ消されてしまうということです。彼は「俺を巻き込むなよ!」と言うけれど、何も知らずにNPCの中に混じっていれば成仏するという「災厄」にあっている可能性もあったんですよね。

ゲームはもう始まっていて、私たちはそこに後からむりやり参加させられた。そのルールは私たちが制定したものではない。でも、それを学ぶしかない。そのルールや、そのルールに基づく勝敗の適否については(勝ったものが正しいとか、負けたものこそ無垢の被害者だとかいう)包括的な判断は保留しなければならない。なにしろこれが何のゲームかさえ私たちにはよくわかっていないのだから。
「日本辺境論 内田樹

音無くんは「邪悪なもの」との出会った一話の終わりに、SSSの行為の是非について「まだ早い。俺には、記憶が……無いんだから」と言います。彼はこの世界で起こっていることがどういうことか知ろうと質問をよくするけれど、結論を出そうとはしていない。まだ保留にしようとしている。
彼の状況は全くもって上の通りである訳です。理解できないながらも、とにかく学ぶしかない。
ここら辺の感覚が個人的にはよく分かるところで。だって、現実ってそういうものではないですか。意思に関係なく、否応なく巻き込まれてしまうものであるというのが、世界認識。
もう少し音無くんよりに読もうとしたときに、印象的なのが彼が、保留する理由として、記憶が無いというこということを挙げているということです。
それによって、「順応」したSSSに対しての異物でいる。
これはある意味で、私の語る現実に適応しなさいと語るゆりっぺに対して、どうにも目をひかれてしまう天使のことを肯定するための言い訳として機能しているような気もするんですよね。
天使のことを自分たちの敵だと語る新しい「常識」がある。他方でどうしても天使がそのように「見えない」という自分の実感がある。
常識が通用しない「邪悪なもの」は恐ろしいです。だからこそ、早く新しい代わりになるものを見つけたい。でも、自分の実感がその新しい常識に反している、というより上手く合わない。
そこで、自分の記憶が無いという理由を持ち出してきたように見えるのです。
つまり、食券の舞い散る中で佇む天使かわいいって結論で(おい。



個人的には文句なしって感じです。今回、基本的にゆりっぺの言葉はそのまま信用しきれないものとして描かれてます。校長室だけが安全だと言って、音無くんがここは安全なのか?と聞いている辺りとか。おそらく「天使」も、SSSがそう名付けただと思います。
そういうことを考えるのも楽しいですし。巻き込まれたゲームのルールを考えるってことですが。
その辺りの認識と真実の明かされ方なんかも今後期待かなと。