俺たちに翼はない 成田隼人編

やっぱりネタばれ。


この章が僕がプレイ前に抱いていた印象に一番近いかもしれないです。
俺たちに翼はない」というタイトルから想起される、翼を持たない人たちの群像劇。


一章は学校、二章はアレキサンダーがメインと、もう少しクローズドな場が舞台でしたが、三章の舞台は、街、ストリートです。出てくる登場人物たちも定まった場所を持たない、偶然会うくらいのファジーな関係です。
隼人はプラチナについて

互いのアドレスも電話番号も本名さえも知らない。偶然の遭遇がなければ、これが今生の別れとなるかもしれない。しれないけど、この辺りをうろついていればきっとまた会える。そういうあやふやな繋がり方が、あやふやな存在の俺には気楽だった

というのですが、この章に出てくる人の立ち位置をすごく表していると思うんですよね。この章に出てくる登場人物たちはほとんど全員がはぐれものです。
不安定な存在である隼人や学校という場に溶け込むことができなかった鳴から始まり、夢に破れてAVのスカウトをしているプラチナや許可されていない場所でクレープ屋を営むパルさん、日本の学校に溶け込むことができなかったアリス、自分の国で認められずにこの国に来て本業とは違うことをしているマルチネスなど。
フレイムバーズやR-ウイングなどもそうです。和馬なんかも学校からはぐれてしまった人ですよね。
また、このことは「名前」にも表れています。
作中、

いつもと違う呼ばれ方をする共同体の中に入ると、それだけでなんだか生まれ変わった気分になれる

と言われるんですが、三章ではほとんど本名使わないですよね。名前というのは咲夜の言うとおり、名前を呼ぶことによって意味されるところが大きいです。
ここで言われるとおり、違う名前で呼ばれることは新たな共同体に入ることです。
この章では、元いた場所からはぐれてしまった人たちが集まってきてできた、はぐれ者たちの共同体の話が描かれている訳です。タイトル「俺たちに翼はない」の「俺たち」に比重がかかっている。つまり、何がしかから疎外されてしまった人たちということです。ここで、はぐれものというのは、はじかれてしまったというだけではなくて、場所を持たない人のことを言います。隼人はいずれ自分は消えてしまうという立場から、自分の居場所を作らないようにしてきました。
そういった人たちがつながりを求めて、居場所を作るようになるところまでがこの章で描かれています。


この、「はぐれものたちの共同体」って、居心地がいいんですよね。本来皆いるべき場所や、やりたかった夢というものを持っていたのだけれど、そこにいられなかった。見方によってはそれは逃げてしまったということです。でも、ここではそういった自分を知らない、それを求めない人たちの中で違った名前、つまり違った存在でいることができる。
でも、本当は欲しい何かがあったはずなんですよね。そしてそれは、居心地のいい、ここでは手に入れることはできない。
プラチナが、

「ドラさん、ちょっと名残惜しいですけど、僕はもう行きますよ」
「楽しくて気持ちいい冬休みがずいぶん長く続きました。ずっとここにいたい気持ちも、もちろんあります。でももう行きますね。辛いと思うけど、やっぱり僕は自分の目指した先へと進んでみせます」

と言います。この作品は「俺たちに翼はない」というタイトルですけど、ここでは地に足を着けて夢へと歩いていくことを選ぶんですよね。それまでは逆にちょっと宙に浮いているくらいだったのですが、ここでは翼がないことを受け入れてその上で先へと進んでいます。


子供の頃、隼人が牧師さんに友達なんかいらねーよと言ったときに、牧師さんはこう言います。

「いまはそう思っていてもね、いつかは必ず欲しくなる時が来るのさ。まったく不都合な事に、残念ながら人間っていうのはそういう風にできているんだ」

ここの、「不都合な事に」とか「そういう風にできている」って、翼がないことと同種だと思います。翼のある人間というものを完璧な存在として仮構するのと同様に、友達のいらない存在というのを仮構することはできます。でも、実際には翼はないし、「不都合な事に」友達を欲しいと思ってしまう。

みんなひとりが恐いんだ。人に去られるのが恐いんだ。

と思う。


そういったことを受け入れた上で地に足をつけて歩んでいくこととして、ラスト、カケルくんに

「あーあ、なんかその充実した目がむかつく。みんなこうやってガキじゃなくなってくンだねえ」

なんて言われちゃうくらいに、周りの人たちとの関係や自分の世界との関わりを確かなものとして、充実している感じっていうのは、羨ましいと思いますよね。



んで、余談。この章で僕が一番好きな所って、隼人が頭をがしがし掻くところだったりします。この仕草って、牧師さんの仕草なんですよね。その仕草を隼人が受けついだ形になっている。こういう風にその人がいたこと、その痕跡が残ることっていうのは、なんかいいなあと。