俺たちに翼はない 千歳鷲介編

これもネタばれです。

日和子さんて「正しさ」に物凄く弱いですよね。マニュアル全部読むから始まり、英里子さんにぼこぼこのサンドバックにされるまで。お客さんに釣銭間違いを咎められた件で、笑顔を見せとけばいいのになんでそうしないのかと責められた際に「わたし、間違ってません」と言うんですが、こういう言葉遣いとかもそうです。僕とか正しいことへのコンプレックスがあるんでこういう気持ちかなり共感できちゃうんですけど、こういう拘りっていくら正しかったとしてもあんまり意味がないわけです。場合によっては害悪ですらあり得る。
釣銭の件で言うと、最善の納め方は英里子さんの言うとおりです。客商売なのだから、ここで自分が正しいと主張することにはほとんど意味がない。お客さんが主な訳で。
その後に人に助けてもらうのを嫌がるところもこういう方向性で、自分単体として「正しくありたい」というと思ってそうな気がするのです。
これはなんていうか頭が固くて「頭でっかち」な方にはまっちゃってます。日和子さんのデビュー作「ほほえみインサイド」へのリアリティがないみたいな評を凄く気にしてましたけど、彼女はそういう経験がないことに対するコンプレックスを持ってるなと思えて。鷲介やオーナーはいろんな人生経験があって尊敬してますと言ってますよね、彼女。頭でっかちと言いましたが、経験も重要だということまで分かっていながらも、なかなかそうも行かない厄介な頭でっかちさんです*1
彼女は正しくありたいと思いながらも、必ずしも自分がそうあれていないということが分かっています。だから、英里子さんに反論できないんですよね。だって、自分が正しくなくて、英里子さんが正しいから。正しいことに感情的に反論することは間違ったことです。ラスト英里子さんに自分の思いの丈をぶつけられたのは、三作目の出版が決まった後に来るというのはこういうこともあります。自分の作品が認められたという事実に支えられたからこそ、自分の作品に自信を持つことができて、だからこそあれだけ思いきり言うことができたんですよね。


こういう性質をもつ日和子さんだからこそ、誰かが緩衝役としていてくれることが必要で。そこで出てくるのが、外交役こと千歳鷲介です。彼は「羽田鷹志」の外交役ですが、人付き合いがすごく上手いです。クローズ作業でいろんな人の話の聞き役に回る様子とか、日和子さんに鷲介さんが来てからフロアの雰囲気が明るくなったと褒められるところとか。最初の頃、日和子さんと英里子さんの間に入るなんて話もしてましたが、三作目が読まれるようにすることも含め、日和子さんが周りと上手くやっていけるようこのシナリオでいろいろと動いています。
そんな周りの人のために動く彼が、日和子さんという特定個人のために動くようになるのがこのシナリオで。日和子さんがいなかったらもっと早く消えていたと彼は言いましたが、鷹志君のシナリオで彼は「羽田鷹志」という器を鷹志君に譲っていました。誰かのためを常に考える人って自分のことを落としがちです。
最後小説を書くって、そんな彼が自分のために語る、表現することだと思います。いつ消えてもいいように身を引いていた鷲介が自分と誠実に向き合う*2、自分の足場を固めることです。自分がここでやっていくためのある種の儀式としてやってるんじゃないのかなと。もちろん日和子さんに勧められたからっていうのもあるんでしょうけど。


そんな風に鷲介が日和子さんの傍にいたいと思ったから、消えずにここにいることになり、日和子さんが鷲介の行動、存在によって支えられたからこそ、英理子さんと作品への誹謗中傷と向き合うことができた。
そしてラスト、デートの費用を取材だから経費で落とさせるなんて言ってる、殻を破った日和子さんを見るのもなかなか楽しいですね。

日和子さん、人間っていうのはね、楽しむために生まれてきたらしいすよ

的な意味で。

*1:悪口とかじゃなくて。僕こういうのかなり共感できます。

*2:逃げるのは癖になるなんて言われてましたが