俺たちに翼はない レビュー

ネタばれしてて長いです。
個別シナリオについては
羽田鷹志編千歳鷲介編成田隼人編になります。

──それはきっと何処にでもある、ありふれた物語。


ギャルゲーって、共通シナリオと複数ヒロインのシナリオによって構成されていますよね。つまりヒロインの集合によって、その世界観が組み上げられていると言うこともできる。
俺たちに翼はない」という作品を始める前に僕がこの作品に思っていたことは、この作品はキャラクター紹介なんかを見れば分かるように、非常に多くのキャラクターを登場させ、そして五年とか凄い長い歳月をかけて長めのシナリオにすることにより、総体としての街を描こうとしているのではないかということです。それぞれのヒロインは場所や人間関係が違うから、主人公四人とそれぞれペアを組むことにより四組のカップルができるので、それぞれその周辺の人間関係を描くことにより、最終的にかなり広範囲の世界を描くことができる。どこかが焦点と言うよりも、その全体、世界を描きたいのではないかと思っていたんですよね。


それで、実際にやってみたところ、その見立て自体はそう間違ってはいませんでしたけど、そこまで単純でもなく。一番違ったのは主人公が一人であるということです。一章の羽田鷹志君が昼、二章の千歳鷲介が夕方から夜にかけて、三章の成田隼人が夜から深夜にかけてです。これは、上で言った世界を主人公の側から多面的に描く試みを、一人の主人公に収束させるシステムだと思うんですよね。上で言ったやり方をすると完全に主体がバラけます。もともと多様な描き方をするというところに中心を四組にしてしまうと、その四組に集中度が分けられてしまうので。
それをバラけさせないためにどうするかという問いに対する回答が、プレイヤーからのインターフェイスを一人にすることです。プレイヤーというのは一人である訳で*1そこを中心にして、そこから描く世界、つまり主人公たちを一つの主体にまとめることにより、この世界に統一感を作り出すことができる。羽田鷹志編千歳鷲介編成田隼人編、と見てきましたけど、それぞれのシナリオで関係性や、知り合いの性質が違うものを描きながら、それをラストなんかで受け手に話しかけることにより、形式としてかなり整理されています。*2


「羽田鷹志編」「千歳鷲介編」「成田隼人編」、そして伊丹伽楼羅、羽田ヨージによるシナリオにより、この世界の多様なキャラクターやその人間関係、その世界を描き、その上での最終シナリオとなります。
このシナリオでは、彼らを統合した「羽田鷹志」を描いているため、それぞれが築いてきた人間関係全てを体験します。いよいよ、この「柳木原」という街全域を描くことになる訳です。
この辺りの話すげー楽しいのですが、もうとにかく各章の登場人物達が入り乱れて登場してきます。アレキサンダーで五人(明日香、山科、紀奈子さん、日和子さん、英里子さん)と五人(鳴、小鳩、紀奈子さん、日和子さん、英里子さん)で横ピースとか、亜衣と山科でバトル?とか。「鷹志」をきっかけとしてそれらが繋がれていきますよね。


このように街全域とそこに出てくる人たちを描くことは、それ自身を描くことに加えて、中心である「羽田鷹志」の可能性を描くことでもあります。このシナリオはDJコンドルが言うとおり「もう一つの可能性」です。実際にプレイした人たちはが渡会明日香と結ばれる可能性や千歳鷲介が玉泉日和子と結ばれる可能性、成田隼人が鳳鳴と結ばれる可能性というものを見てきたのですが、ここで描かれるのは、統合体としての羽田鷹志が羽田小鳩と結ばれる可能性です。


ムービー2ありますよね。青い人型の模型が無数にいて動き回っているのがメインのやつ。あれは、この街を表しているんですよね。そして、各シナリオの場所とともにアルファベットで名前が表示されますが、そこにいる人型は二人だけ色が違います。これは、最初の教室が鷹志と明日香、次のアレキサンダーが鷲介と日和子、次の広場が隼人と鳴です。他の人は青に対し、それぞれ二人だけ違う理由は、相手が特別だからです。他の人は全て青い人形、つまり、言ってしまえば同等で、交換可能である。しかし、ヒロインはそうではなくて、他の人と違う、特別であるということになります。
ラスト、小鳩とトラウマの話に収束するのは、こういうことだと思っていて。俺つばというのは、群像劇であり、さまざまな人たちの話を描いてきました。ですがラストは、世界が広く無数の人がいる中でも、他の誰にも代え難い人との関係にたどり着きます。ムービーラストにあるように、無数の人たちの中を二人寄り添って歩いて行く。


これは俺たちの物語。
俺たちに翼はないこともないんじゃないかなあ、っていう物語だぞ。


世界に見えるもの、その人からの世界はその人の内面によって規定されています。
例えば「タカシの空は厳しい寒さに慣れてしまったくすんだ白だった。」「隼人の空は、まばゆい輝きを覆い隠してくれる群青だ」などと語られます。これは空の色がどうこうという事実の話ではないですよね。その人には世界がどう見えるという話をしている。
コンドルさんも

世界なんて、おまえらみんなたちの心の中にあるチャンネルをひねれば、いくらでも変わってしまうものなんだぜ

と言います。つまりここで問題にされているのは徹底的にその人の内面です。だからこそラストは今の鷹志君を作った原因と、その理由である小鳩の描写がベースになったと思うんですよね。
これまでのシナリオでは、羽田鷹志が多重人格になった理由は語られてきませんでした。この作品はそれぞれの登場人物たちの役割に端を発する歪さみたいなものを否定せず、それを肯定してきたので、そのこと自体は正しいです。ですが、このシナリオで明らかになるように「羽田鷹志」が壊れずに今まで来れたのは小鳩のおかげなのです。小鳩って、ヨージのところなんかでも分かるように、強く彼のことを待っているのだけれど、それを普段出すことはあまりないですよね。群像劇の妙味って複数の登場人物の絡みもあるんですが、他の登場人物たちと接することによってそれぞれの登場人物一人一人も多面性を見せることだと思います*3
そういった羽田小鳩というパーソナリティ、そして羽田鷹志という物語におけるその価値を、多重人格になることによって忘れていたことなのですが、それは知るべき、顧みられるべきものです。小鳩シナリオで描かれる主人公の過去というのは、主人公である鷹志の問題と同時に、その経験を同時にしてきたヒロインである小鳩へ向き合うことというヒロインへの問題でもあります。過去のことを全て知り、引きこもろうとした彼を救ったのは自分を「ポッポの兄ちゃんだ」という役割です。世界を共に歩いて行く、小鳩によって支えられています。


小鳩と牧師さんの助けによって過去との対峙を済ますことができ、ラストを迎えるのですが、そこでは、

天を見上げると真っ青な春の空。
こういう誰にでも健康さを求める青ってのはどうなんだろう。少し吹きだしながら、去年見た蕭条たる空の色を思い出した

と語られます。突っ込んだりしてますけど、ラストは真っ青な空の色として鷹志くんがある訳です。
この光景、つまり内面の元に小鳩が登場するラストっていうのは、飛べないながらも空を見上げながら羽ばたいていくこの作品の終わりを迎えるに相応しいものなんじゃないかな、と思います。

*1:まあ普通は

*2:余談になりますが、ここでそれぞれのシナリオというものは、決して会におかれるものではないというところはこの作品の好きなところだったりします。形式として、全てのエンドにはこちらに話しかけてくるエンドありますよね。つまり、それにおいては区別とか上下関係とかない訳です

*3:この章のいろんな登場人物が別の人間関係や側面を見せるところとか面白かったのですが