うみねこのなく頃に EP4 ラストについて

ネタばれです。


今回ラスト、縁寿がさくたろうを蘇らせるシーンがこの作品の縮図だと思ったので、そこについての私見を。


まず、さくたろうを蘇らせたことに対する事実性の話から。
川畑船長の家で縁寿が急に何かを見つけたんだけど、他の二人には何も見えないというシーンがあります。これは後にさくたろうのぬいぐるみが出てくることから、縁寿はさくたろうのぬいぐるみを見つけたのだと思います。そうすれば、「愛がないから」他の二人には視えないということの意味がわかる。
また、ベアトがぬいぐるみについて赤字で

そのぬいぐるみは特別なぬいぐるみ
楼座が娘の誕生日のために作った、世界でたった一つの

と宣言します。言い切ることなく、ここで止まっている。今回戦人が赤字で宣言とかやってましたけど、とりあえず赤字は事実*1と異なることは発言することはできないようです。そのため、ここでベアトが発言できなかった様子には何かあるということでしょう。
こんな感じであのシーンで実際あったことというのは恐らく、ベアトの言うような魔法ではなく、現実方面からのアプローチです。


ここでベアトの魔法とは何かの話をしますが、それは世界を生み出す最小単位が二人というところが鍵だと思うんですよね。本当の魔女なら宇宙を一人で生み出せると縁寿が言うのに対して、何故二人なのか。それは、ベアトの魔法が本質的に誰かを信じ込ませることによって成り立つものだからだと思います。うみねこのなく頃にという作品は、ファンタジーとミステリーでお互いに主張しあう作品です。もっと言うと、相手を屈服させることにより、自分が信じる世界観を相手に信じこませることが目的である。


こういったことを踏まえると、縁寿がベアトを蘇らせたシーンというのは縁寿がファンタジー的な意味で魔法を使いさくたろうを蘇らせたのではなく、真里亜の世界観に対してどちらが自分の信じるものを信じさせるかという世界観バトルだったわけです。相手に疑念を与え、疑わせることによって成り立つ黒い魔法と、肯定的に捉えることにより何かを生み出す白い魔法の。
真里亜は縁寿の「魔法」の結果、さくたろうが蘇ったということを信じましたが、このことも愛がある、白い魔法の結果です。ここで真里亜がさくたろうのぬいぐるみのことを「信じることができなかったら」さくたろうは蘇ることができなかったんですよね。ものごとを肯定的に捉えるという白い魔法がベースにあったからこそ、さくたろうは蘇ることができた。
縁寿と須磨寺霞との会話で、縁寿が「なら、私の魔法でその人生をこれから、少しずつ明るく穏やかなものにも出来るかもしれない」と言っており、あくまで現実を変えるものではなく、認識により「今後」を変えていくものです。
この辺り、真里亜の言い分は現実認知を歪めるくらいの勢いだったので、ここまで読み込んで納得できるようになりました。


という感じで、縁寿がさくたろうを蘇らせるシーンは、「うみねこの鳴く頃に」という作品の縮図としてすごい良くできていると思うんですよね。いろんなシーンとか言葉と繋げることができます。
いろいろ考えて楽しむことができたので、今後にも期待してます。

*1:こはちょっと疑念がありますが