Kanonにおける雪というイメージ

http://d.hatena.ne.jp/hachimasa/20090124/1232800260
http://d.hatena.ne.jp/watuji/20090125#1232853525
http://d.hatena.ne.jp/crow_henmi/20090125/1232857880
辺りを読んでの感想。
僕はwatujiさんの記事がKanonに対して書かれたものとして一番納得感があります。
つまり、Kanonという作品における「雪」について。


各所に挿入されているあゆによるモノローグの場面は、ひたすら降りしきる雪の中です。雪が降る景色は「奇跡がありふれた存在としてある世界観」につながると思います。
CLANNADのラスト、光の玉に満たされる町というのと、雪の降る町はイメージとして同等のものであると言ってしまってもよいかと思うんですよね。つまり、その雪が、奇跡や人の想いとして想起されるという意味において。その無数の雪たちによって雪の降る町という風景が生まれる。


また、名雪シナリオで、

俺たちは今、いくつもの奇跡の上に立っていた。
 名雪と、この街で再会できたこと…。
 名雪のことを好きでいられたこと…。
 そして…。
 秋子さんの穏やかな微笑みも…。
 名雪の暖かな笑顔も、奇跡…。
 たくさんの奇跡と偶然の積み重ねの上で…

とも語られます。
奇跡や偶然というできごとはいくつもいくつも降ってきて、それらが積み重なっていくものなのですよね。この捉え方からすると、Kanonの物語は、一つ一つのエピソードによって、降り積もってゆく雪として捉えられます。


そして、この作品のラスト、エンディングテーマの「風の辿り着く場所」では、

世界中にはどんな想いも叶う日がくる
ずっと旅をしてゆく僕らに 小さな精たち舞い降りる

と歌われています。
Kanonという作品を語る際に一番多く語られるのではないかという「奇跡」は、誰かの犠牲になって一つだけ叶えられるとか、そういう一つだけの特別なものではなく、皆の元に舞い降りてくる小さな精たちである。


Kanonは、そういったいくつもの「雪」のイメージに彩られた作品だと思います。