雪影

田中ロミオさん企画原案ってことで、今更ながらにやってみたのですけれど。


以下、完全ネタばれで。

プレイし終えて、なんで深雪の魔性に惹かれ、山に行ったきり帰ってこないエンドがないんだと思って不満に思っていました。
このゲームは、
1. かみのやまでの生活を東京でのあやまちから失ってしまう
2. 深雪のことを振りきり、新しい生活を紫子と一緒に作っていく
3. 禁忌を破り、霜神様の伝説の通り深雪の子供が生まれて彼女が去ってしまう
4. 深雪のことを信じきることができずに疑ってしまったため、彼女を失う
5. 深雪と一緒に里で暮らす(True end)
という構成になっています。これを整理すると、失敗から深雪を失ってしまうパターン(1,3,4),深雪ではなく、新しい生活を選ぶというパターン(2)、深雪と一緒に里で暮らす(5)という三パターンとなります。つまり、深雪を軸にすると、深雪と一緒に山で暮らすというところに穴が開くんですよね。この広げ方によると。


それと、山に行ったきりのエンドが何故ないのかと思った理由は、このゲームを見てて水月を思い浮かべたということもあります。異界、山の民、甘えさせてくれる年上のお姉さん、そしておもらし(ゲーム中二回)。えー、特に最後のやつ重要。山の民という話が出てきますが、この作品はオリジナルの説話、霜神様の話として語られている一方で、普通はない最後のやつがあったりしてそれなりの一致度があるので、この作品を水月本歌取りと読むのは、そこまで深読みではないかなとか思うんですよね。


その上で何故深雪に取り込まれてしまうエンドがないかということを考えてみると、
http://soukublog.blog113.fc2.com/blog-entry-172.html
でされている考察の内容が理由なのではないかと思います。修二の写真は三歳からのものしか存在せず、山の民の血が流れていると呼ばれたことから、修二と深雪は血がつながっている、本当の姉弟だと考えられます。そのため、True endでしたことは禁忌を破り、里に異界を持ち込む行為です。決して単純に幸せになったというものではない。そう考えると、このエンドの鮮烈さというものが見えてきます。一見、普通に幸せそうでありながら、その実、異界、楽園に行ってしまうよりも、もっと非道徳的である。


修二が蝉丸に父親の仕事の意味について尋ねた時に、彼女は
「意味は見る者が与える」
と言います。世界を世界たらしめるものは、見た者によって与えられた意味であると。
そして、
「世界というのは整頓された部屋と同じだ」
「窓から見えるのは切り取られた景色。一歩下がればまた異なる風景が映る」
とも言います。それを踏まえた上でラストシーン、外から窓を通して見える二人のCGを見ると、なんだかひどく趣深いと思います。