アイドルマスターXENOGLOSSIA
自分の見方のまとめくらいはしておこうと思ったので。これ、作品評価とかではなくてあくまで僕の読み方で*1、他の人にどうこうってのではないというのを前提として読んでくださいってことで。
あとネタばれです。
このアニメ、僕はロボットものとしてではなくて、舞-HiMEシリーズの一つとして見てました。僕はロボットものについての知識とか全然ないので、そもそもそういった評価とかできないっていうこともあり。
で、舞-HiMEシリーズの一つとして見てたのは、wikipediaに載ってるからというだけではなくて、もう一つ理由があって。
ゼノグラシアと舞-HiMEって、ある種の舞台設定の上で、その舞台の不条理によってキャラクター達が悩んだり苦しんだりするという感じの共通点があると思います。
ゼノグラシアはスターシステムと言われてますけど、キャラクターが別の舞台に立ったときに違う物語になるとするならば、必然的にそれぞれの舞台の枠組みがどうなっているかというものを巡るお話が展開されると思います。登場人物たちの悩みや苦しみは、その舞台である事という固有性に影響を受けるところが大きいとでも言うか。
それで舞-HiMEのときも似たような事を思ったんですが、僕の趣味から言うと、登場人物たちを不幸にする舞台というものがあるとするならば、それは相当慎重に作らなければならないと思います。
例えば、ゼノグラシアでインベルが最後に文字とか使っていいのかとか*2思いましたけど、iDOLと文字などで意思の疎通ができるとすると意思の疎通ができないという事を前提として描かれてきたその劇の前提を崩してしまう事になりかねないと思います。もっと端的に言うと、iDOLが意思を伝えようとしなかったせいで皆不幸になってきたのだという話になりかねない。嫌な読み方かもしれないですけど、作った舞台*3において繰り広げられる劇*4というものをやる以上、そこの土台はしっかりしていて欲しいと思うんですよね。
そういうのがあるんで、世界設定の細かいところが割と適当に見えたのがかなり引っかかってたんですが、まあ僕のこういう見方が間違ってて、それを元にこの作品を批判するのが不適当だっていうならまあそうなんだろうとも思いつつ。
あと、僕が良かったと思ってるところは片思いを巡ってです。iDOLの意思や他の人の考えがわからなくてどうするかと言う事に対するそれぞれの振舞い方とか。