アイドルマスター XENOGLOSSIA

crow_henmiさんのとことか、2ちゃんねるとか見に行ったりして思ったことがあるので。
とりあえず個人的には、アイドルマスターXENOGLOSSIAって一貫しててよくできてる*1アニメでしたよ、ということを主張しておきたかったりします。


前の感想とかでこのアニメについて、意思伝達が上手くできない相手との関係みたいに書いたんですが、それは千早と雪歩の関係とかあずさと真の関係もiDOLとアイドルマスターの関係と同型なんで、ロボットよりもうちょい意味を拡張したほうがいいかなと思ったからです。


25話でインベルに一方的に自分の愛を押し付ける形で、インベルを見失った千早さんが描かれてるんですけど、千早さんと雪歩の関係はその形に近いです。

「受け取ってください、これが私の愛です」

が一番象徴的だと思うんですが、ここはもう双方向を諦めた言葉です。

「千早さんはインベルに見てもらおうとするだけで、インベルを見なかった」

というのは、雪歩にも当てはまる部分がある。千早さんは彼岸に行かれてしまったのでしょうがないんですけど、雪歩も自分の意思を相手に押し付けるという非対称な形になってしまっています。


あずさと真の関係も基本的に真があずさの事を思う側で、あずさからの意思は上手く伝わってません。真をパイロットから降ろすあたりとか特にそうで、あずさが真にその辞令だけを伝えたのって、公私混同をせずに上司として告げたということだと思います。
そういったことが言われず、自分の価値が否定されたと真が感じたから、あずさの意思が伝わらないということが起こってます。


こう見ていくと、意思疎通のできない相手との向き合い方という感じで、人と人との関係においても、iDOLとアイドルマスターと同じ問題が描かれていると思います。25話で春香によって、

きっと、インベルは…、ううん、iDOLでも人でも、好きな人と一緒になるってそういうことじゃないよ

と同列に語られてもいますし。
こんな感じで、アイドルマスター XENOGLOSSIAって、全体を見渡したときにテーマに沿っていろいろな形で描かれているのが見えると思うんですよね。こんなこと考えながら見てたら面白かったですし、よかったと思うんですけど、すごく叩かれてる感じなのが納得いかないというか…。もちろん全肯定できる作品だとまでは言う気はないのですけれど。

*1:こういう言い方はあんまり好きじゃないんですが