水月 和泉シナリオ

ネタバレです。


水月という言葉は「水に映った月」を意味しますが、この不安定で不確かな、今その瞬間に水に映っている月というのが和泉シナリオのイメージです。
id:tdaidoujiさんの水月感想のイメージ*1がある程度分かったような気がします。
特に和泉シナリオにおいて、平行世界や場面転換により、次の瞬間に同じ世界で連続した時間であるという保証がないという話なのですが、波間に映った月は次の瞬間には位置を変え、映る形が変わるものです。観測者=プレーヤーはその、次の瞬間には位置や形が変わってしまう月は連続しているようには見えず、途切れているようにすら見えます。それに対し、透矢の立ち位置はその水に映った月であり、その月とともに変化していきます。そして、次の瞬間にはどうなっているか認知できない不安定な世界だからこそ、今映っている月というのがクローズアップされることとなります。


和泉シナリオって「今」って言葉が多いのですが、例えば

 今、みんながいる。
 今、和泉ちゃんがいる。
 そして今、僕がいる。
 それだけで、充分だろう。

や、

 明日も、明後日も…
 そして、来年の明日も、明後日も…
 今日という日を、いつまでも、あなたと過ごせますように。

などラストで語られるものや、このシナリオではあまり記憶の有無にこだわらない、「たとえ、始まりがなんであっても、大切なのは、今、僕が彼女をどう思っているかだった。」など、重要なシーンによく使われています。
僕はこの「今」っていうのがともよちゃんさんが言う切断の上に成り立っていると思っていて、一番分かりやすい例が記憶の有無に関係ないっていうところなんですが、過去からの連続性とか関係なくて、その瞬間こそが重要だと言われてます。
また、上で引用したところの「今日という日を、いつまでも」っていうのが指し示すのは、明日とか明後日とかそういった未来っていう概念ではなくて、今、その一瞬が結果的に明日と呼ばれる地点を通る、つまり、いつにおいても「今」しかないって話だと思います。


あと思ったことは、和泉シナリオでマヨイガに行かないのは、透矢が雪シナリオで行ったり、花梨が弓道や舞を失敗した結果行くような「ここではないどこか」を、「今」を肯定する和泉は必要としないからではないか、ということですかね。


那波シナリオで語られる「水月」とはまた別に、水月という言葉を表したシナリオではないかなと思います。

*1:プライベートモードなので現在は見れません。