ゲーム批評

id:genesisさんの美少女ゲーム年代記とも関連するんですが、某所を見ていて過去の優れた考察とかを見れる場所っていうのはあった方がいいと思いました。genesisさんは「叩き台」という言葉を使っていましたけれども、今後ギャルゲーを考える上で、という意味での叩き台は必要だと思ったので。


Fateのゲームというメディアでやるからこその表現については書きましたけど、ほかにもいろいろあって、例えばまたのりさんのところをリンクするのですが、鬼哭街のレビューも読んでほしいと思います。「これってゲームだったんですか?」のところ。
選択肢があるということが当たり前であるゲームという環境下において、あえて選択肢をなくすことは、そこに至るしかないという必然性を表現することになります。
「そこに至るしかない必然性を持った」ゲームと言ったときに僕がイメージするのは他にはCROSS†CHANNELとかなんですが、あれもまた最終的にはあそこに行き着くしかない物語だと思います。途中どんなことをするかという自由度は太一=プレイヤーに許されているけれども、太一にとっては最後はああするしかないので、プレイヤーであってもそれをどうにもすることができません。そのため、そういった選択肢はあのゲームには存在しないと思います。


とか、ギャルゲーならではの表現は自分的に課題なので、この辺特に考えておきたいです。前のFateのはひぐらしも考えつつ書いたので、「月は満ち,ひぐらしが鳴く」とか見つつ考えます。ていうか、ひぐらしのとこ書くのすごい面白そうなんですが。