殺×愛 5 ―きるらぶFIVE 風見周

殺×愛5―きるらぶFIVE (富士見ファンタジア文庫)

殺×愛5―きるらぶFIVE (富士見ファンタジア文庫)

この巻読み終わって強く感じたことは、徹底的にこの作品世界の問題を主人公のものとしようとしているな、ということでして。


以下ネタバレで。
戯言シリーズには哀川さんがいたりするように、作品世界に主人公を超える存在がいることを完全に拒否しているよねとラストの展開をみて感じました。
作品世界は主人公から見える以外にも広がっているはずであって、その中では主人公の自意識は相対化され得るはずです。例えば、お前は間違っているとか言って殴ってくる相手がいるとかなんですが、ラストはそういった相手を潰しにかかってると思います。


にゃみちゃんがああなったのって、作劇的には必然性があると思うんですよ。
にゃみちゃんは先輩のおかげで主人公の元へ来ることになったという設定がこの巻で明かされますけど、この設定のために、にゃみちゃんという存在は、主人公が先輩にある種、保護されていることを示すことになります。
また、この巻で先輩が主人公が休むために、一時的に町を守ることを肩代わりしてます。
そのような「いざというときに頼りになる先輩」を要素ごと潰すことによって逃げ道をなくし、主人公でなければならないというように進めていると思います。だから、先輩が大怪我をし、町を守れなかったと同時ににゃみちゃんも…、っていうのは意図的には良く分かります。


こういった、徹底的に主人公の自意識がどうかというのが作品世界を規定している作品*1というのは、極めて思春期的と言えるのかな、なんてことを思いました。

*1:C†Cとか君と僕の壊れた世界とか。上で言ったとおり、主人公の自意識を相対化しうる強さを持った存在がいない作品