最果てのイマ

エピローグについて
ハーレムエンドについて書こうと思うんですが、とりあえず基本的な理解として戦争編後の忍は能力が劣化しているため、皆には自意識があるということを上げておきたいと思います。


「だが俺たちには、まだ自意識がある」

「忍の機能喪失とともに、支配力は消滅した」
千鳥
「あなたたちは、また個に戻されたんですよ」


そして、その前からの影響としては「去る者たち」によって語られており、あずさのみが意識に干渉されていますが、あずさはそれ以前から刷り込みのようなものがあっただろうとして留保されています。


そのため、一応戦争編後はヒロインたちは自意識のもので忍を選んだということで話を進めますが、戦争編後は忍は記憶が混乱しており、戦前の記憶と混同しています。そこに章二はいないのですが、ヒロインたちは忍にそれを気づかれないように立ち回ります。
そのため、かみしろさんが不快感を示したお茶会は、ヒロインたちが忍を守るために彼に違和感を起こさせないように振舞うので、章二が欠けてしまったにも関わらず、何事も無かったかのように淡々と繰り広げられるのだと思います。その意味では、id:crow_henmiさんの忸怩たるイマ(3)――「家族計画」から遠く離れてで言われる、

しかしそれは主人公である貴宮忍を中心としたものであり、横の繋がりは見せ掛けだけのもので、「家族計画」のように、共通の危機に結束して立ち上がることなど、集団としての一体性を発揮することはない

について、大部分は賛成です。
そしてこちらの方が大きいと思うのですが、あのシーンはむしろ、忍自身が章二を失ったことを受け入れることができていないということだと僕は思っているのですけれど。無意識的に章二がいない戦後であることを拒んで、章二がいると思い込もうとしているのではないかと。


そのように、ヒロインたちの行動は自意識によるものだと思うので、戦争編後はむしろ女の子たちの物語だと思うんですよね。忍は事実を知らずに守られているため、受動的ですから。


そのため、ヒロインたちが自分でハーレムエンド的なものを選んだとすると、僕は悪いことだとは思わないです。それこそ自由意志なのであって。作中、倫理について言及されますが、少なくとも単純に否定できるものではないかなと。
とはいうものの、このゲームのミームの扱いが僕がどれだけ理解できているか微妙で、なんか勘違いしてるかもしれないですし、この辺の扱いによって評価がかなり変わってくると思うので、突っ込みどころがあればぜひに。