ひぐらし

id:USA3さんから反応があったのでとりあえず考えてることを
全然まとまってないですが。
皆殺し編までのネタばれを含みます


狭義の推理という方向性から進むようになっていたことで、読者の興味を引くようになっていたというのはその通りだと思います。自分の興味の対象がこの物語はどう読むのが適切か?なので、読者がどう読んでいるかとかその辺については考えが甘かったと思いました。


ただ複数編からなる「ひぐらしのなく頃に」において、それぞれの話で起こっていることは異なっていているので、その中での個々の事件の犯人などもそれぞれ違っています。
鬼隠し編であれば圭一を襲った一連の出来事(針の入ったおはぎとか)はいったいどういうことだったのか、綿流し編魅音は何をしたのかなど。
そのため、それぞれの話での犯人とか動機とかそういった具体的なものについて考えるという狭義の推理から始めた上で、複数の話を踏まえた上でどうして近似的な環境にもかかわらず異なったことが起きるのかということや、逆にどの編でも起こることがあるのは何故か?という広義の推理(具体的な事象とは言いにくいので、僕の場合は「設定」と呼んでいます)というように考えていける構成になっていると思います。そのため、作者の意図は個々の事象を考えた上で、複数編を統合して考えて欲しいというのが適切ではないかとUSA3さんの記事を読んで考え直したのですけれど
推理(狭義の)はここの「手がかり足がかり」っていうのが相応しい気がします。


「東京」が犯人であると一応特定できる(謎解きが出来るということではなくて、このひぐらしのなく頃にという複数の物語から構成される物語におけるどの編でも共通する黒幕であるという意味で)ようになってはいますけど、実際に起こっていることは上で言ったような作り方なのでそれなりにブレがあり、それが何をしたかということを完全に詰めることは不可能なので、設定というようなある程度広い範囲を指すものの方が適切ではないかとも思ったりもしています。