9791さんとの議論の話

どうも上手く伝わっていないようなので自分の記事を読み返してみたら、確かに書き方が悪いかもと思われる箇所が結構あるため、今回はできるだけ今までの記事がどういうことを言おうとしていたかを今までのエントリを使いつつちょっと過剰かもという感じで説明しながら書こうかと思います


なんか当たり前だと思っていたので書かなかったのですが、hollow単体で見ればもちろんアンリマユがメインです
士郎は、強いて言うなら裏主人公とでも言うべき存在かなと思っています
そもそも、18日のエントリは

hollowにおいて、士郎の出番って結構微妙で、最後なんかむしろ出て来ない訳ですけど

から始まっていて、この「出て来ない」っていうのは文字通り出て来ないってことで、あくまであそこで聖杯に行くのはどう見てもアンリマユです(口調とか)
身も蓋もないことを言ってしまえば、皆頑張ってるのにお前だけ何もしてないのかよ!とも思えるわけですが、そうではなく、彼は彼で非常に重要な役割を果たしているんですよというのがあのエントリです
9791さんはアンリマユと士郎は不可分だと言っていましたが、あの階段を上るシーンでは明らかにアンリマユであるように、

アンリマユは士郎の正義の味方をしようとした心に惹かれたために、

セイバーは士郎の間違ったものを許しておけないという在り方を守ろうとし、

凛は士郎のその愚直さが放っておけなくて、

桜は士郎の場所を守ろうとし、

イリヤは士郎の在り方を受け入れ、

キャスターは士郎の在り方に葛木を見て

カレン、アーチャー、ライダー、葛木(小次郎)はそのパートナーと意思をともにして

楽園を否定することとなる戦いをします

で触れた時のものは士郎の在り方の方が強く、アンリマユの影響は低いですから、ここは士郎と見るのが自然ではないかと思います
部分的にはどちらと言いやすい場合もあるのではないかということです


例えば、セイバーや、桜はどう考えても士郎のためでありアンリマユのために戦ったのではありません(ここで強調しておきたいのですが、個人が自分のために戦う理由として、誰かのために戦うというのは矛盾しないと思います
「私が〜したいから戦う」という自分のためのものの、〜に「士郎のことを助けたいから」というのが入るってことですね
アンリマユも誰かを助けること自体が悪いとは言っていなくて、もし行くのであれば笑いながら助けに行けと言っています

前回触れたとおり、凛やキャスターが戦う理由の「一つ」として(ここも強調しておきます。あくまで彼らが戦うメインの理由は自分の意思、感情のためです)凛であれば士郎の事を放っておけなくて、キャスターであれば士郎の在り方に葛木を見たというものがあります


そのため、今挙げたものに関してだけ言えばアンリマユは一切関係ありません
イリヤはアンリマユの存在を明確に認めているため、アンリマユ寄りと言っていいかもしれませんが)
と挙げてきたとおり、士郎の影響はかなり大きなものです
確かに最初に言ったとおりあの楽園を直接終わらせるのはアンリマユでありhollowは彼が主人公と言ってもいいと思いますが、今挙げた士郎の影響を考えると彼を裏の主人公と呼ぶくらいはいいのではないかと思います


そして上のものを踏まえたうえで回答に答えると、
① 物語を能動的に(主人公として)閉じる存在であるか否か
物語を最後に閉じるという意味で言うならアンリマユがそれです
ただ、そこに士郎の意思も存在していると思っています
例えば、前回挙げた凛やキャスターとの会話や、セイバーとの学園に行った後の会話などがあります
9791さんはアンリマユと士郎を分けて考えるべきではないと言っていましたが、世界を閉じようとする理由はいくつかあって、例えば留まってしまったバゼットを進ませるためという動機によるものはアンリマユによるものですし、新しいものを見てみたいからというのもアンリマユです
しかし、間違ったものをそのままにしておけないというのは、士郎の思想ですからその点においては彼の方が影響力が大きいかと


② ブロードブリッジの戦いが①の行動の結果に起こった結末であるか否か
橋に上ったのはアンリマユの意思です
ただ、結果的な団結を起こすことになったきっかけとしては、士郎のほうが影響が大きいと思います
 
 
③ ②を導くにあたって士郎の意志が反映されているか否か
上と同じく
④ 物語を終わらせたのは、士郎なのか、アンリマユなのか
今回最初に言ったとおり、終わらせたのはアンリマユです
 
 
⑤ “hollow”はFate本編の補完か否か
この補完っていうのは、18日の記事にとっては思い切りおまけで、hollow単体としてみればアンリマユや、バゼット、カレンの物語です
しかし、キャスターやライダー、ランサー、葛木など本編では語られていなかったキャラクターの背景が今回詳しく語られており、個人がその在り方や思いなどのために戦う、そして物語はその彼らのあり方をそれぞれ肯定するというFateという作品においては補完という形になっているというのが「十五日」の分で、それで補完という考え方があって、そういえば士郎も結構重要な役割もしているんでhollowもやはりFateだよね(「ちょっと別の方向からそれを書いてみようかと」とか十八日のエントリの一番最初に書いてあります
十五日を読んでいないと分からないかもしれませんが)と言おうとしたのでした
そのため、十八日単体でhollowFateの補完であるという気は最初からありませんでした


と書いてきましたが、僕としては「こういうみんなが“我が儘し放題な”物語」そのものを否定する気はなくて、ブロードブリッジは皆好きにやっているんだけど、それでも少しずつ周りのことを考えていると考えているのでした
今回のエントリを読んだあとに出来たら今までの記事も読み直してみてください
返答は急ぎませんので


分かりにくいところが多く、どうもすいませんでした