電波的な彼女 片山憲太郎
- 作者: 片山憲太郎,山本ヤマト
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2005/03/25
- メディア: 文庫
- 購入: 2人 クリック: 30回
- この商品を含むブログ (88件) を見る
電波的な彼女のスレでの感想を読んでいて、主人公ジュウが優柔不断だという意見がある一方で、雨や雪姫が自分に関係ないと判断したことに対する無関心さが怖いという意見もありました。
面白いので、自分の思うことを。
以下、電波的な彼女についてネタバレありで。
大人と子供(若者)の分け方として、選択することという視点があると思います。
大人は選択することに迷わないし、子供は選択することに非常に迷うという考え方です。
選択することには、選択しただけの責任が伴いそれを引き受けねばならず、選択したことによって抜け落ちてしまうことがあります。
迷って選択できないことは、そういった抜け落ちてしまうことはないけれど、下手をすると何もできなくなってしまいます。
そのため、これはどちらが正しいと言うことができることではありません。
この巻では、雨、雪姫が大人として描かれ、ジュウは子供として描かれます。
彼女らはあくまで、自分の選択基準で動いており、できること、したいことなどを考慮した上で、自分がしようと思ったことしかしません。
そこではもう迷うことはないし、抜け落ちてしまった物を省みることはないということになります。雨はこの事件に関わるのを止めようと思ったし、それを翻したように見えるのは、あくまでジュウのためという選択によるためです。それはあくまで、子供がかわいそうだからということでの迷いではありません。(もちろん、そういったことを思っていないわけではないですが、自分が関わった所で何も変わらないことを理解しているから、もう迷ったりすることはないです。)
それに対して、ジュウは子供の目をえぐるということがどうしても許せず、自分で犯人を捜そうとして、実は親が生活に困って子供の目を売ったという現実を突きつけられます。
そして、苦しんだ末に子供のことを選びます。
そしてえぐり魔を捕まえると、自分に子供が出来たら、その目をえぐってやると脅迫されることになります。
それでもえぐり魔を完全な悪人だからといって、見殺しにしようとすることができません。
忘却の旋律などでは、選択することによるリスクを引き受ける、自分で選択していくということがテーマでしたが、この作品では選択しきらないこと、考え続けることがテーマとなっていると思います。
一巻での雨のセリフ
答えが出るのは、出せてしまうのは、怖いことでもある。私はそう思います。
や、二巻での雨のセリフ
「考えましょう」
「ジュウ様は、それでいいと思います。お考えください。」
などがそうです。
選択することの怖さは、一巻ではジュウを選択したために不良に襲われそうになった雨や,
何より優先順位を重んじる美夜に表れているし、二巻では非常に悲惨な事件にもかかわらず、関わろうとしなかった雨などで描かれています
被害にあった子供の為にえぐり魔を探そうとしたジュウは、ある種、子供を守るという選択をしています。その選択という観点から考えると、生活に困って子供の目を売った親というものは攻められるべきものなのですが、ジュウはこのことを理解はしているため、結局最後のその親にあっても責めることはありません。ただ、目を失ってしまった子供のことを悲しむだけです。
選択することはある種の思考停止を招くことになります。そのため、答えが出なくても、考え続けることというのは、決して優柔不断と言い切ってしまえるものではないし、無駄でもないと思います。