月に寄りそう乙女の作法

月に寄りそう乙女の作法 -Standard Edition-

月に寄りそう乙女の作法 -Standard Edition-

「君がいないと私は駄目なんだ、全てにおいてそうだ」
「その代わり、君が支えてくれるなら強く大きく輝いてやる。この業界で私という光が大きくなれば、いずれ君も大きく輝くだろう」
「私ばかりが太陽として表に出てしまうが、今こうして見ていても、月は十分に美しい。太陽と月のような関係でいてほしい」

2012年にやったゲームの中で好みな作品というとこれかなということで、タイトルについて少々。
まともな感想はこの人*1とこの人*2参照。


どこかのシナリオでルナ様が朝日に、「君が関わらなければ大化けすることはないだろう」という趣旨のことを言うのですが、作品をよく表しているなと思っていて。
朝日はそもそもデザインの道を志していたけれど挫折してしまって、ルナに仕える内にパタンナーとして新たな道を見出します。デザイナーという光を支える乙女として。自ら輝くというよりは、誰かを輝かせる触媒のような役割として、現実からかけ離れたデザインを作るデザイナーを輝かせるために、現実的に形にするパタンナーとして朝日はルナを輝かせます。
相手に合わせて自らを変える、変わっていく。

きっとまた僕の世界は変わる。だけど愛しいひとだけは変わらない。
新しい自分になって彼女に寄りそおう。


でもそれは、変わるのは朝日だけではなくて、朝日が仕える月も変わっていく。なんて言ったって、「朝日」と「ルナ」なのですから。冒頭引用したように、「朝日」がなければ「月」は輝けず、その輝きがあるからそれに仕える朝日が輝く。役割が入れ替わりつつ、それぞれ変わって輝いていく。ルナシナリオで、大蔵遊星として恋人関係として上に立つこともあれば、小倉朝日として仕えることもあるように。「光と影が、幸と不幸が、太陽と月がさかさまになる興奮」というのが、この作品の良さではないかと思いますよ。
ルナに人に影響を与えて、感化させるところがあると朝日は言われます。意味を確認したところ、感化という言葉は影響を与えて、自然にそれを変えさせることだそうで。自然にというところが良くて。つまるところそれは、誰かを変えようとして変えるのではなく、自分が寄りそう相手が好きで仕方がないと伝わるくらいの彼あるいは彼女の作法を見る内に、自然とそうなっていくのではないかと。


この辺りの描き方が「大変に気分がいい」と思わせてくれる作品だったと思います。