『魔法少女リリカルなのは The Movie 1st』

今木さんの感想を見て、とりあえず一度見てこようと行ってきました。
やっぱり、時間が違ってエピソードを取捨選択すると別のものになるよなという印象があります。
最初に良かったこと。
プレシアに関するエピソードを増やしたことが劇場版として増やしたことの主な点の一つであるかと思います。そこは良かったなと。
劇場版では、ドラマCDでしか描かれていなかったリニスなども含め、フェイトが生まれてからのエピソードがアニメより多めに語られています。
そのことにより、フェイトが、母さんは私のことを見てくれた事なんて一度もなかったと言うのに対し、単純にそうという訳ではないということが視聴者には伝わるんですよね。もちろん、全て肯定的な目線だったという訳ではない。ただ、見ていなかったという訳でもない。決してどうでもいいと思っていたということではないということが分かります。
リンディとフェイトの関係をもう少し深めていたのも良かったです。ここはぶっちゃけA'sとかからの逆流ですけど、アリですね。


で、不満。
テレビ一期のなのはって、かなりさびしがってたり、悩んでた子だったんですよね。小さいころに父親が大怪我して、喫茶店が始まったばかりということもあり、一人が多かったと語っている。
そして、友達のアリサとすずかに関しても、夢を持つ彼女達に対して、自分だけ夢がないと疎外感を感じているような描写があった。
この辺りが、彼女の持つ寂しさというやつではないかと思うんですよね。
家族に関するエピソードと、なのはが将来に対してビジョンを何も持っていないこと*1とそれに対するアリサ、すずかとの関係*2がばっさり切られたために、この辺までもなくなってしまったかなと思います。


もうちょっと個人的なところとしては最後のリボン交換で、なのはのリボンが白になっていたところ。
こんなことを書いてた人間としては涙目にならざるをえないというか。
あれは、大人のように振舞っていたフェイトちゃんが年相応に振舞うということと、将来のことに悩んでいたなのはが黒いリボンをすることにより一つ大人びて見えるということの二つがクロスすることのが凄い良かったと思うんですよね。
ですが上述のこともあり、ちょっとなーという感じです。


あと、アニメでは、大人ということと、魔法というモチーフはちょっとした関連もあって。
魔法少女ものの変身という話として、一時的に理想の大人の姿を借りてくるというのがあります。なのは一期における魔法は「平凡な小学三年生」であるなのはが、魔法及びその関係者に出会うことによりちょっと大人になるという役割です。その意味で、かなり緩い意味で魔法少女の影響下にある作品と言えます。
そういうニュアンスも、劇場版ではやはり消えてしまっていたかなと思います。

*1:軽く先生がこういう職業がありますくらいは言っていましたが

*2:彼女達が習い事をしているけれど、なのははしていないという辺りまで含め