ぬらりひょんの孫 5,6

ぬらりひょんの孫 5 (ジャンプコミックス)

ぬらりひょんの孫 5 (ジャンプコミックス)

ぬらりひょんの孫 6 (ジャンプコミックス)

ぬらりひょんの孫 6 (ジャンプコミックス)

ボクがおじーちゃんに感じた気持ちは
怖さとは違う…
強くて…カッコよくて
でもどこかにくめない
だからみんなついてゆく──
”あこがれ”なんだよ
畏れ…ってのは


ここら辺の「畏れ」に関する語りはやっぱ良いですね。この作品て一つに、皆を率いる者ということが描かれているんですが、この巻のリクオと玉章の戦いというのはそのぶつかり合いです。
玉章の方は「おそろしさ」を持って、力で部下を従えている。部下たちを切り捨てて、その分自分が強くなる刀なんか象徴的です。
それに対してリクオの方は、必ずしも強さで従える訳ではないんですよね。


五巻の杯を交わすこと

昼も夜も関係なく”お前そのものに”
おのずとついてくる……
”仲間”てのを
集めろっつってんだよー!!

というのがそれで。昼の彼には力がありません。であるならば何故、彼についていくかと言うと。それが「畏れ」なんですよね。
玉章を倒すときにリクオが昼と夜の境界であるというのもそういうことです。つまり、彼に問われているのは、強さとか弱さとかそういった軸のことではなくて。大将として皆を背負うことができ、皆がその大将についていきたいと思うかどうかなのですよね。


大将としての「畏れ」で相手の大将を倒し、昼と夜の矛盾しているようにも思える彼の在り方でつららに好きと言わせる。
この辺りが、読んでいる僕も「畏れる」訳です。



読んだ人にとってのこの作品の評価というのも、こういった読み方が適応されます。つまり、読んだ人がこういった感情を引っ張りあげられるかどうか。
そう考えると万人を畏れさせるだけの力のあるかというと必ずしもそうは思わないんですが、興味を持った人は読んでほしいと思いますという感じで。