悪魔のミカタと紫色のクオリア うえお久光

紫色のクオリア (電撃文庫)

紫色のクオリア (電撃文庫)

 http://d.hatena.ne.jp/rulia046/20090713/p1
ハードルが上がったというのは、確かにという所で。


理不尽なセカイを敵に回してでも自分の望みを叶える。堂島コウの望みはそういうものです。そして、彼は冬月日奈を生き返らせることが、彼女の意思に反することも知っている。その上で、彼は日奈を生き返らせると言う。
クオリアのオチは、敵はセカイの方ではなく、彼女の方だったということですよね、ある意味。悪魔のミカタでは現在日奈が出てきている*1ので、その辺が直接的に描かれることになると思うのですけれど。


んで、

なにしろ一冊で語れるオチを20冊以上かける作品で再利用するわけにもいくまい。

ということですけど、冊数が増えてきたことの違いというのは、それぞれの意図を持ったキャラクターの思惑がどんな形の結末を導き出すかということになるかと思います。
ゼロサムゲームみたいな感じで、全員の願いが叶うという世界はない。とすると、願いを叶えたい人の中から勝っていかねばならない。誰もが皆自分のことが特別だと思い、そして、自分以外のことをそうでないと思う。でも実際には特別な人達は何人もいるから、その人の優位というのはいつひっくり返るとも知れない、危ういものである。最新刊のノットBの、メイドさんなんかが象徴的でしたが。
クオリアではその、意図を持って望みを叶えようとする特権的な人が一人という最もシンプルな問題にした話で、それを徹底的に突き詰めたのが面白いところでした。
それに対して、悪魔のミカタでは一人ではなく複数、さらに応用問題な訳で、その辺の違いがやっぱ楽しみですね。

*1:そのものではないということにまた意味がありますけど