then-dさんの「君の知っている麻枝准は死んだ」を受けて

ちょうどコンプティーク二月号に麻枝准インタビューがあるので、それを参考にしつつ。


インタビューで何故シナリオライター引退宣言をしたかという質問に対し、

「どうせキャラを殺して復活させて感動させるんだろ」っていう方法論が自分でもわかってたし、ユーザーもわかってたし

という発言や、
AIRで母親を描いたら、父親をないがしろにしているからと言われてCLANNADで親父との話にして、それで家族愛ばっかだと言われて、リトルバスターズで友情ですよ、といった作品を作る際の今に至るまでの影響が語られています。智代アフターで一か月くらい休職したという話まで書いてあり、ユーザーからの反応に非常に敏感なのですよね。


then-dさんはミニゲームの効果について、リトバスで描かれるような「正しさ」、倫理性に対する反論(エクスタシーモードなども含めます)というようなことを述べていると思ったのですが、僕の感覚からすると、この意見は面白いなと思いつつ、クラナドのコンボや智代アフターRPGリトバスの野球や沙耶シナリオはひたすら読むということに特化したノベル形式のゲームに対する反省みたいなものから来ているのではないかと思ってます。
CLANNADビジュアルファンブックによると、CLANNADの経緯の一番始めとして

なるべく多くのユーザーに受け入れられる作品を作らなければいけないという使命感があったんですよ。とにかくエンターテイメントとして楽しめるゲームを作ろう、と

ということが言われています。これも、ユーザーのためにはどうしたらいいかという方向性から来たものだと思います。なんていうか、作品として自発的に出てきたとか、麻枝准の前々からの希望とかそういうものよりも、ゲーム製作者としてユーザーに真面目に向き合った結果出てきたものではないかという気がするのです。もちろん、こうだったとしても単純に悪いこととは言えなくて、使われた形式によってより良いものが生まれるということはあることですし、智アフのRPGとか、沙耶シナリオとか楽しませてもらったのですけれど。
こういったところからも麻枝さんという人がユーザーの反応を非常に意識して、それに対応すべきと思っているのだろうという気がするのです。
断筆宣言というのは、そういった意識の行き止まりとして出てきたように思えてしまうんですよね。


なので、もし仮にそういったユーザーとの距離、特にkeyというメーカーの名前と期待を背負って、というのが麻枝さんを縛っているのだとしたら、コンプティークインタビューで言われているような

まったく違うもの

を作ってくれないかなと思います。新しいメーカーでやるとかもありですし。智アフでいたるさん以外とでもゲーム作ったりしましたしね。
ということで、
http://www1.ttcn.ne.jp/~izumiya/akeome-m1.jpg
みたいな話もあることですし、とりあえずヒビキのマホウ麻枝准の本気を見せてくれることに期待しつつ、これを応援するところから始めようと思います。


あと、こういった意見の人もいるのだということで、一応ネット上で意見を表しておこうかなという感じです。