天元突破グレンラガン

前の全然ダメな気がするので書き直し。すっごいネタばれしてます。


グレンラガンって一番最後のエピソードを除くと、どんどん先へ先へと進んでいって、「螺旋力」という進化していく方向性自体が破滅を招いてしまう時にどうすればいいかという話ですよね、大雑把に言うと。
そして、その回答としては、「進化によって招かれる破滅すらも乗り越える」というものだったわけです。
で、その何かを乗り越えるという描き方として、この作品は特定の人を使っていたように思います。
二部ならばロシウが予言を恐れてそのことを招かないようにという方向に動くのに対し、その枠を壊してしまうとか、三部だったらアンチスパイラルを招かないようにという意図のもとに螺旋王によって作られた世界を、アンチスパイラルと戦うという選択のもとで壊し、四部では進化することによって破滅を招くからとその流れを止めようとするアンチスパイラルを、その破滅すら乗り越えていくという意志によって超えるとか。


それで、一番最後のとか特にそうなんですが、「進化しすぎた果てに滅んでしまうこと」みたいな概念を乗り越えるって、正直どんな風にして描くんだろ?って感じでした。それに対し、ここではアンチスパイラルというその概念を信仰している相手を使うことにより、その人を乗り越えてみせるという意思を見せることによってそれを描いたわけです。*1


こんな感じで、誰かを乗り越えるという形を取りながら先へと進んできた訳ですけど、これって逆に言うと乗り越えるべき相手がいない場合ってどうするの?という話になります。抑圧してくる誰かがいてそれを乗り越えるのだというのは、あくまでそういう相手がいる場合にのみ成り立つ話なので。


そこで一話冒頭に戻ってくるんですが、そういう場合って一歩間違うと誰をも屈服させるという方向に行きかねません。「天の光は全て敵」ですべてを敵に回し、それを「乗り越えてしまう」というような。
あのラストは、そうではなくて、人類ではないブータ*2とともにいて、「俺」のことを主張して誰かを屈服させるようなことがない、単純に人を乗り越えるのではなく、「進化しすぎた果てに滅んでしまうこと」という概念を乗り越えることを表してるんじゃないかとか思ったんですよ。
そんなことを思ったので、僕はすごい良い作品だったなと思ってます。

*1:なので、概念自体を乗り越えたって訳ではないんですが

*2:ブータが人類に進化すると多元宇宙に巻き込まれてしまって上手くいかないなんて話は割と象徴的かなとか思うのですが