フェアリアルガーデン 桜野みねね

さとりさんは人の話を聞かないですけど、クレアは人のことばがわからないことによって、こういう物語ができているんだろうとか思いつつ。ことばがわからないというのと、相手の気持ちがわからないというものは別のもののはずなんですけど、クレアがことばがよくわかっていないことによって、そういう区別がなされていない感じがすごく印象深いです。
以下ネタばれですよ。


Episode3
のあがクレアに自分の事情を話しているんですが、クレアにその言葉の意味は伝わっていません。でも、なんとなく、のあが話している内容のせいで彼が悲しんでいることだけはわかる。
それで、彼がどんなことに苦しんでいるかとかが分からず、何かをしてあげたいという切実感だけがある中で、雲の下へ行こうなんて突拍子もないことが出てきちゃうあたりとか大好きです。
自分の貧しい語彙の中で精一杯考えて、おかえりという言葉が迎えにきたのあに出てしまうのも。


Episode4

このきもちはどうやってつたえたらいいんだろう

から始まり、

このホンとことばと
のあにこころから
「ありがとう」

で終わる意味について考えていて。
ことばについて感謝を述べるのって、きもちをつたえたいという目的のための方法として、ことばというのが自明でないというのが理由なのかなと思いました。
Episode4ではのあがクレアに「ありがとう」という言葉の使い方を教えます。その体験を通して、クレアは意思を伝える手段としての言葉を学ぶことになります。
言葉を学ぶということが、きもちの伝え方を学ぶことと同義になってるんですよね。ことばがあることによって、気持ちを伝えることができる。だから、言葉に対してもありがとうと言っているのではないか、なんてことを思ったりしました。