sola

「この大きな空は、どこまでもつながっているから」
「人と、海と、街と。そして夜と」
「夜?」
「そう、空の向こうは夜空。一つの同じ、つながった空」
「そうだね」
「だから、私は空の下を歩く。二人がくれた空の下を」


そらいろらじおを聴いてたら、繭子って元に戻らないのかみたいな話をしてたんですが、僕的には今の形がいいと思ってます。理由の一つはこれで書いたようにもう既に繭子の願いは叶えられているから、元に戻ることは必ずしも追い求められるものではないということと、後もう一つとして、繭子の存在が夜禍が否定されるわけではないということを表しているからです。
この作品に出てくる夜禍は茉莉、蒼乃、繭子の三人ですが、茉莉は蒼乃のために消えて、蒼乃は人間に戻って、繭子が夜禍のままです。茉莉と蒼乃についてはそれぞれの事情でそうなるんですが、ここで繭子がいなければラスト時に夜禍は誰もいなくなってしまいます。夜禍については孤独とか、夜などネガティブな印象があります。でも、最終回では、夜禍である彼女は決してそういう存在ではないですよね。
こういった夜まで含めた多様なあり方がひとつの時に存在すること、「一つの同じ、つながった空」というのが空間的なつながり。


記憶を失ってもとか、二人がくれた空の下を歩いていくというのが時間的なつながりです。
真名や、こよりは最終回の段階では、依人や蒼乃とのことを覚えていないけれども、彼らとの日々によって、真名であれば空の写真、こよりであれば折り紙を自分の趣味としています。真名なんか依人がいるときは空ばかり撮っている依人のことを馬鹿にしていたくらいであったのに。記憶がなくなっても、依人とのことは息づいている、続いているわけです。


また、蒼乃に関して言うと、彼女は、依人と二人きりでいられればいいと思っている人でした。十一話でどこに行くのかとこよりに問われたときに、「過去も思い出も届かないくらい遠くへ」と言うような。こういうことを言うのは、依人以外のすべてのつながりを断ち切ることです。
でも、こよりと接して、驚いた顔を見せたり*1、うれしそうな顔を見せたり、小さいけれどさまざまな表情を見せます。
ほかのものは全部いらないというのは、ほかのことに心を動かされない、どうでもいいと思っていることです。でも、本当にそうならあんなに感情を揺り動かされたりしません。蒼乃は本人が思っているよりも、こよりのことを大切に思っているわけで。
そんなこよりとの触れ合いや、依人や茉莉が人間に戻してくれたということによって、蒼乃は、自分の望む依人*2との二人だけの狭い空間ではなく、もっと広い、二人がくれた青空の下へ出て行きます。そして、真名やこよりと新しい関係を築いていく。


空って、空間的にどこまでもつながっているものだし、同じものは二度となく変わっていきながらも、今日も明日も明後日もずっと続いていくものです。この作品のこういう感覚というか、感性、世界観がすごく良いものに思えたので、長めに文章を書いてみました。まだ二話残っているというのが少し気になるところではありますが、この作品はとても気に入っています。

*1:そんなことをしたら蒼乃が一人になってしまうと、こよりに言われたところが特に印象的でした

*2:ある種思い通りになる、本編で記憶を消したりするような