リトルバスターズ!

おしまいまで。心のどこかで、今作に関しては気を抜いてたことに気づかされました。
ごめんなさい。やっぱすごいです。


麻枝氏引退作ということで、もっと考えねばならないのですが、とりあえず。
ネタバレしつつ。


終わった後にOPの歌詞を見ると、

僕らはみんな同じ夢を見てた
過ぎ去る一ページの
ここからは一冊しか持っていけないよ
それでよかったのかい?

のあまりの本気っぷりに愕然としました。やる前にこの歌詞を見たときは、いつか終わってしまって、立ち去らねばならないみたいな感じだと思ってたんですが、このあたりの歌詞ってゲームからすると、皆で作った夢から鈴しか連れて行くことが出来ないこと、そのことに対する問いかけなのでは…と思ったので。なんてことないと思う人がいるかもしれないですが、僕に関しては、こういうのが普通に入ってるあたりにびっくりします。


ラストに関して言うと、繰り返しプレイすることによって、ゲームシステムとしても鈴と理樹の成長を描いたリトルバスターズ!という作品にとって、ああなることにちゃんと必然性があると思います。恭介を超えるということに関して言うと、鈴とだけで助かった場合にはそれでも恭介の想定の範囲内(というと語弊があるかもしれないので、可能かもしれないと思っていたくらいで)です。途中恭介は、現実に打ち勝とうとする二人の姿を思い浮かべても、皆を助けようとする理樹に、無駄にしてくれるんじゃないぞといいます。これは理樹と鈴が、皆を助けることはありえない、できるわけがないと思ってるということです。恭介ができるなんて考えもしなかったことを成し遂げて初めて、理樹が恭介を超えることができたと言えると思うんですよね。だから、理樹から見て、二人で助かるのではなく、皆を助けることまで成し遂げることに意義がある。


鈴から見ても、意味があります。二人で助かるときは理樹に手を引いてもらうだけで、何もしていないです。そこから、理樹に手を引かれるのではなく、自分で動けるようになった。リトルバスターズ!という作品は鈴と理樹の二人が(ゲーム的にも)成長していく話なので、彼女のそういう姿も必要です。
もっと言ってしまえば、鈴の手を引いて守ってしまうというのは、恭介がずっとしてきたことでもあり、鈴シナリオで判断をさせずに守ろうとして失敗するということの繰り返しにもなってしまいますからね。
鈴は最初は言われたことに対して何にも考えずにしたがってて、成長するにつれ、それはおかしいだろ!とかツッコミをするようになった、つまり自分で考えるようになったとかそこらへんのエピソードも気に入ってます。


あと、追記としてなんですが僕はこのハッピーエンドは、「やがて来る過酷」、いずれ来る辛いことでも乗り越えていってくれるのを「信じさせてくれる」という信頼として受け止めました。CLANNADの「楽しいことは、ここから始まりますよ」というような、作品で描かれているものを越えたビジョンを見せてくれるというような。