水月 感想

ネタバレです。

 夢の中の僕は、消えゆくまぎわに、いつもこんな気持ちを味わっていたのかもしれない。
 僕を夢から覚ますために、あの少女を射抜き、消えていかなければならない運命を呪って。
 だから、僕に夢をつないだ。
 牧野さんへの想いを。
 彼女がこの町を訪れたことも、僕らが友達になれたことも、僕が、彼女に気に入られ、彼女に強く引きつけられたのも、
 すべての夢が、未来へつながっているからなのかもしれない。

雪さんシナリオのテキストなんですが、水月のシナリオって全てがつながっているのだと思います。

透矢「現実を月とするなら、夢は水月っていうところかな?」
那波「…わたくしは、逆だと思いますわ」
透矢「え?」
那波「現実こそ、不確かな海面そのもの…夢はそこに映った確かな可能性」
 月っていう、確かに存在する、だけど手の届かない場所。
 不確かな僕たちの世界では、それが幾重にも重なり、揺れ動く、水月になってしまう。

一つのシナリオは波間に映る月、水月なのですが、そこから見た他のシナリオなどの可能性は月という確かなものとして存在しています。


この、月が確かなものであるということは、可能性に価値を見出すということです。水月において可能性は夢と等価であり、夢は現在から想起される可能性、あったかもしれない過去、あるかもしれない未来と等価です。そして、水月の世界はパラレルワールド的な可能性と、その一つ一つの世界でそこから想起される可能性によってまた新たな世界につながっていきます。


例えば、花梨シナリオで

透矢「いつかどこかの現実で、僕たちはまた、会えるっていうことなのかな?」
ナナミ「いつも、私たちは出会っていますわ。いままでもこれからも。想いは必ず、いつかどこかにつながっていくんですもの。わたくしとあなたの想いが引かれ合っている限り…」

と言われるように、目の前の現実は花梨を選ぶということしかできないけれど、そうあって欲しいと願う可能性世界は、波間からでは月は見えないけれど、水月が見えるからこそ月があるということが分かるように、ここではないどこか、今ではないいつかにあります。だからこそ、その可能性の存在によって、目の前という現実を生きることができるということです。


那波シナリオで最後で急に飛ぶのはそういうことなのではないかと思います。幸せな環境で目の前を精一杯生きると言われてもあんまり説得力ないですけど、ラストのような幸せな可能性が確かにあるということ、目の前は過酷な現実であるかもしれないけれど、それが全てではなく、幸せな可能性とのつながりがあるからこそたった一つの今を生きていける。
水月という作品はそういった一つ一つの世界それぞれの現実とそれらのつながりを描いた作品ではないかと思います。