電波的な彼女 片山憲太郎

一巻の例のシーンそのものの存在意義を疑ってるというか、嫌であるようなんですが、ジュウ君の行動に嫌悪感を覚えることは正しいとした上で、あのシーンが物語に入る意味はあると思います。ジュウ君ではなくて、雨というキャラクターを描くという意味において。


ジュウ君のほうに目が行っちゃうのもわかるんですが、自分がされることを予期しつつ、全く逆らおうとしなかった雨の行動も相当おかしいです。ですが、そうした雨の行動原理については、作中交わされる、「答え」に対する姿勢から分かると思います。


美夜は悩んでも必ず答えを出さなければならないという事を言い、雨はそれに対し、答えを出してしまうことは怖いことだと言います。

「答えが出てしまった者には、迷いはありません。ただ進むのみ。その選択肢が正しいのかどうかなど関係ない。何しろ、もう答えは出てしまっているのですからね」

でも、その後にそう言いながらも雨は、「わたしも、答えは出ています」と言います。これはつまり、答えを出すということに対するリスクを承知した上でそれを選んでいるということです。実際に、例のシーンに対してであっても、雨は自分がされそうになったことに対しおおよそ見当はつくと言っていますし。
それだけのリスクを負ってでも、自分がしようとすることを貫くことができる雨はすごいというか、かっこいいと思うんですよね。もちろん行動だけ見れば、ただの妄信とかと区別しにくいかなとも思うんですけど。


ということで、僕はあのシーンに関しては雨はすごいっていうのが一番にあるので、ジュウ君のそこの行動に関しては目をつぶってるとかそんな感じだったりします。


あと、個人的な感想としては、雨はラノベヒロインの中でもすごい好きなキャラクターなんですが、彼女に対する賛辞がかわいいとか萌えるとかではなくて、かっこいいな自分はなんなんだろう…とか思いました。なんか間違ってる気がしないでもないです。