ひぐらしのなく頃に 祭囃し編

ネタバレです。


祭囃し編って、悪役である三四を羽入の側が倒すという勧善懲悪ものに見えるかもしれないんですけど、僕はそれはちょっと違うのではないかと思います。


悪役として、作品に否定されるキャラクターとそうでないキャラクターというのがあると思うんですが、前者が同情の余地がなく、正しい側に否定されるもので、後者は何か悪いことをする、あるいは主人公の側の敵であったとしても、何らかの事情があるため情状酌量の余地があり、その作品の価値観に全否定はされないものというものとします。前者が北条鉄平や鷹野を利用しようとした人、鷹野の子どもの頃の施設の人であり、後者が三四です。


誰かを肯定するためには、上で述べた、否定されるキャラクターを敵とするのが簡単な方法です。はっきりと否定することができるため、肯定したい誰かをより強く肯定することが可能だからです。実際、皆殺し編では北条鉄平という同情の余地のないキャラクターを使うことにより、皆の団結を深めています。


そのため、敵の存在により誰かを肯定するという手法をとるなら、敵としては悪い面しかない(あるいは見えない)キャラクターを使った方が効率がいいのです。もしそれをするなら、鷹野であるならば皆殺し編の段階のように彼女の事情が分からないまま、主人公達を害するキャラクターという描写にしておくのが一番なのですが、祭囃し編ではそうはせず彼女のそうなるまでの生い立ちや事情を丁寧に描いています。そういったことをするということは、主人公の側の正しさは相対的に減るということです。相手がにそうすることの必然性や、仕方のなさがあれば、それを全面的に否定できないので否定の度合いが弱くなり、肯定したい側の肯定の度合いも弱く見えるためです。
つまり、祭囃し編では羽入や圭一の側の行動が比較的正しいということは確かだと思いますが、だからと言って三四が明確に否定されるキャラクターではないと思います。


そういうのがあって、これ 祭囃し編は、三四を利用しようとした人のような同情の余地がない悪を使えば、三四をもう少し簡単に肯定できたと思うのだけれどそれをしていない、つまり誰かにババを引かせて他のみんなが正しいっていう手法を使っていないということと、悪の側に見える三四にも非常に複雑な事情があることを丁寧に描くことにより、竜騎士さんは「互いが仲直りするために、共同の敵を外に求める」という問題についてプレイヤーに対して提示しようとした、あるいは答えようとしているのではないかということを上手く言えないまでも書こうとしたんですが、説明が足りないかと思ったんで書いてみました。