不可能性

crow_henmiさんのところに書いた舞-HiMEに不可能性という言葉を使うことに対する違和感に関する話。


不可能性っていうと、悲劇と近いものがあると思うんですが、要するに誰かが悪いからって言えないものというのがとりあえずの表現です。


例えばAIRで誰が悪いか?って聞かれて、だーまえっていう人はあまりにも多くのものを無視しているんじゃないかと思います。ちょっと考えただけでも、翼人が災害となると思った高野山の僧、受け継がれてきた翼人という種族における呪いと、それが人には入りきらずにその器を壊してしまうこと、そしてまたそれがずっと繰り返されること、という感じで有機的に絡み合っているのでどれか一つをあげることはできません。


それに対して舞-HiMEは操作性に結構頼っているように見えます*1。「勝ったHiMEも黒曜の君の妻にならなければいけない」って、誰が決めたのさ、と。fullyさんの言う 「ジムには他に行動のしようがなく」はいったい誰が入れたのか?みたいな。
で、僕はこの作品が悪趣味なのを欠点とは思っていなくて、むしろそれをどれだけ突き詰めるかかに注目していたりします。

*1:HiME同士の戦いのやり方は結構上手いと思っていますけど。共感、許容可能なレベルのそれぞれの弱さとそれによる亀裂とか