舞-HiME 20話

「私には、ホントの好きなんて、なかったんだ…」


その人の本質に対して、行為のみで客観的に証明するっていうのは悪趣味だなーと思いました。


命は、言われたことをそのまま受け入れていたので、自分自身の考えというものがほとんどありませんでした。だから自分を育ててくれた人を殺すことであっても、それが正しいと言われてしまえばやってしまえました。でも今はそうではなく、誰かに言われたからではなくて、自分がそう感じたから好きだといったはずです。そのため、本当はこの二つをイコールで結んで、好きな人でも襲ったり殺したりすることはできないはずです*1。爺を殺したことは、自分の意思でというのには無理がありますから。
でも、そんな比較ができずに行為だけを見た場合、「自分は好きだった人を殺したことがある」という事実だけが残ります。


そういった、「自分は過去に好きだった人を殺したことがある」ということに加えて、雪乃を襲い、晶を倒すことにより巧を殺したという事実があります。
ここの襲ったことも、舞を襲った敵を倒そうとしたこと、首飾りの影響により意思を半ば奪われた状態であったということと、兄の「敵は倒さなければならない」という教えに非常に強い影響を受けていたという理由があるんですが、舞を守ろうとすることは舞に否定されたためそれを理由として保つことができなくなり、首飾りについてはその効果に気がついていない、兄の教えについてはそれ自身を疑うことが難しいくらい強い影響を受けているため、それが悪いとは考えることができません。


こういうように、過去の自分との違いやその行為をした影響っていうのを考えることができないようにしてあるんですよね。だから、行為という事実性のみにおいて、命がどういう人間か?ということが決められてしまいます。これはいかに上手く逃げ道をふさぐか?っていう方法論で、確固たる事実であるかのように見せることによって、そう思わせるってことなんですが、よくもまあここまでやるな…って気分になりました。

*1:本当は、自分が好きだという人でも殺すことができるから、本当の好きではないんだということですけど