フロレアール

今木さんのフロレアールの感想の「そのような外部とは彼が現にいる「夢」の「内部」からの思い描きにすぎず、外部とは内部における不全感が呼び寄せた想像物でしかない」
というのが、
Natural Color Majestic-12元長柾木さんのインタビューの飛鳥井全死は間違えないに対する発言

「作中人物が作者に苛立つ」という見方が発生するのも、登場人物ではなくむしろ我々が「超越的なものが存在している」と感じてしまっているからですね。超越的なもの、メタ的なものが存在しているかもしれない、それにアクセスしたら世界の全体が見えるんじゃないか。『飛鳥井』では、我々がそういう感覚・欲望を持ってしまっていることこそを問題にしていると言うべきかもしれません。

というのと思い切り一致していて驚いてました。別の作品に対してで、しかもフロレアールの発売は七年前だし。そのことから元長柾木さんの中でこういった問題意識があったということは可能ですが、すごいですね、これ。


とか思っていたら、インタビュアーが「しかし全死はメタテキストが見えているし、マージナルには絶対に弾は当たらない」ということを言っていて、まさしくそういった視点のことを今木さんの感想に対して思っていたことだっただけに*1、ますます微妙な気分に。この発言に対する意識は全くなかったんですけどねえ。フロレアールが外部に対する言及が強いので、外部が存在するということに意識がいくこと自体は割と自然だと思いますし。うーむ。

*1:そのため、感想では実際に支配されているということに割と力点を置いてます