最果てのイマ

データ消したんで最初からだと思ってたんですけど、このゲームならコンプデータを入れれば読めるし…ということで、id:crow_henmiさんの考察が面白いので最後の辺りだけ軽く読み直してみたり。さすがに最後だけだとニュアンスが取りづらいのでもっと読みたいのですが、どれだけ読めばいいのやら…


とりあえず、crow_henmiさんのに反応。
ネタばれです。
「全ては忍の、混乱した記憶の再構成に過ぎない。この中に「外部」はない。」
とのことですが、「去る者たち」を見た所、忍の記憶は千鳥によると「完全な忍自身の記憶ではない」とのこと。イマによる転写によって修復されたことを言っているようです。だから、正確には「イマにより与えられた「忍本来の記憶と近似している記憶の再構成」」ではないかなと。こういう自分とは関係のないところに自分を決められることというのは他者性と言えそうかなとか思います。



あと「イマ」において、イマが章二について「彼はあなたに、思い出以外の何も残せなかった。記憶さえも」と言いますが、死というのは明らかな断絶であり、そのために樋口章二は他者であると言えると思います。
これは正に最果てであって、そこまでして作る他者というのはどうかとは思いますけど(それこそ倫理です)、とりあえずこれは他者と言っていいのではないかと思うので。


今回ちょっと見ただけでも、このゲーム、パズルの再構成を抜きにしてもどれだけ理解できてるのか非常に怪しい感じだと思いました…


追記
「イマ」を読んでいたら、イマが「すべてのできごとはとうに過去に過ぎ去ったこと」「また、私個人にとっては、歪められざるを得ない記憶……過去は信用に値しないため、そう……私は過去が嫌いになった」とか言っていやがります。記憶がこの世界で起こったことをどれだけ正確に表しているのだろうか?ということについては、上で挙げた忍自身の記憶ではないことのほかにも、これのようなものがあり、ロミオさんも意識している様子です。