かしまし

なんかすごく面白そうだったので、三巻までまとめて買ってきてしまいました。


はずむ君は女の子になってからの生活を違和感なく過ごしているように見えるのですが、はずむ君は自分のことを女の子だと思っていないような感じがして、なんか奇妙な感じがします。
もちろんはずむ君は自分が女の子になってしまったということを認識しているのですが、はずむ君の「自分が女の子である」ということは、「他人との関係性において「自分が女の子である」」と同義であって、「自分が女の子である」そのものとは意味が違うというか。


女の子になったはずなのにどーにもはずむ君は無防備で、二巻の段階でも水着が脱げそうになってもまったく恥ずかしそうじゃないし、はずむ君の口から出る自分が女の子になってしまったという言葉は、やす菜んとかとまりちゃんと付き合うことができるとかできないとか、そういった人との関係性とセットで、自分は女の子なのだから女の子として振舞わなければならないとか振舞おうということではあまりないです。
水着とかエプロンとか女の子の服装をするという表面的なことにはずむ君が違和感を覚えないから、はずむ君が女の子になったということを受け入れているように見えるのであって、そうではないことが三巻のデパートで表れているのではないかと思いました。
あそこでは、誰かとの関係性に「自分が女の子である」という事実がどういう影響を与えるかではなく、「自分が女の子である」ということはどういうことかを考えているので。