ユメミルクスリ あえかシナリオ

ユメミルクスリ (初回版)

ユメミルクスリ (初回版)

やったのいつだっけ?とか思いつつ、なんとなく回想からあえかシナリオとか眺めてました。
以下ネタばれで


一番印象に残ったセリフは

「トモダチもそうだし、わたしだってちゃんと男の子とつきあえるよ、普通の女の子だよ、って、安心させたかった」
「でも、誰を、なんだろ。
誰を安心させたかったのかな……お父さん、お母さんかな?」

かなと思います。見た時によって変わるでしょうけど、今回このセリフがかなりきました。
ユメミルクスリにロミオさんが具体的にはどれだけ関わってるかよく分からないんですけど、C†Cの太一とか「普通」にどうやっても届かないという悲痛さみたいなものがあって、なんだかそれを思わせたので。


序盤に主人公の友人が、自分たちは普通であるために努力しているのに、あいつはそういうことをしないから仕方がないみたいなことを言うんですが、あえかって空気を読まない、普通であろうとしないんじゃなくて、それができないんですよね。


考え方が非常にシンプルで他の人のそれとかなり違うから、いくら自分で考えたところでどうにもならない。そして周りがそうしてくるからそれが当たり前なのではないかとまで思ってしまう。そして、自分はいつも悪いと思い込んで、公平と脅迫という形で付き合うことになったという負い目もあり、いじめられているときに公平が助けてくれなくても、それでも十分だと言う。さらに、公平までいじめに巻き込まれたのは全部自分のせいとまで思ってしまう。


そんな風にして、ものすごく追い込まれて、そして自分自身でも自分を追い込んでしまいます。その結果としての、屋上で「南条さんを殺すのは私じゃないと駄目だよ」です。彼女の考え方は非常にシンプルであるので、過度の抑圧によって今度はそれをどうにかするためにはこうするしかない訳です。絶対に殺してやるという殺意があるのではなくて、殺すか殺されるかという二者択一以外なくなっている。


その抑圧から、脱糞までしたアントワネットを見ることによってようやく開放され、ひとしきり笑い、学校を辞めて、
夕焼けの中、公平と二人で帰りながら
「うん───
いっしょだね、いっしょに───帰ろう」
と言う。
この最後の穏やかさがたまらないなと思います。あえかは耐えるにしろ、耐えないにしろ、追い詰められていることに変わりはないのですが、そういうものがなくなってやっと手にした自分にも周りにも抑圧されない穏やかな生活だと思うと。
公平や、公平の家族に受け入れられたその生活が、ずっと続いていくといいと思いますよ。