答えつき設定考察ものであるひぐらしのなく頃に

祭囃し編プレイ後の感想はこちらです。)


いろいろと言われてるこのゲームですけど、個人的には推理ものというよりは設定考察ものと呼んだ方がいいんじゃないかなとか思ってます。


ルールを推理するとかそういうレベルでもそうなんですが、ONEとかAIRとかの世界考察であったり、最近ので言うと最果てのイマでいうパズルのピースの並び替えであったりするのと同じ様に見たほうがいいんじゃないかということで。
こういうものは従来答えが明かされないことを前提としていたので、各人の問いの立て方もある程度自由でしたし、その答えについても蓋然性の差はあれど製作者が言うことはないのである程度のところで納得するしかなかったのですけれど、ひぐらしの場合は解答がいずれ明かされることが約束された設定考察ものだったんじゃないかなと。


Pastel Gamersのまちばりあかね☆さんがだいぶ前(よく覚えていないんですが、リニューアルされる前だったし一年位前?)に、このゲームはミステリーのような論理的で一意に解けるものではなく、むしろ水月の考察に近いのではないか?(うろ覚えですが)ということを言っていて、そうかもと思って納得していたんですが、例えばこのひぐらしのなく頃にという作品が謎を解けということを殊更強調していなくてストーリーを進めるものだったら、たぶんここまで文句は出なかったのではないかと思います。最果てのイマなんかだとパズルのピースが足りないと批判されてはいますが、パズルのピースを並び替えるために考えるということ自体はそれなりに受け入れられて考察されていますし。竜騎士07さんの言う推理っていうのは多分このレベルの「考える」という意味だと思います。もちろんこの伝え方は不適切だったと思いますが。


前にブラックボックスの話をしましたが、この作品はそういった「設定」がないと一話もつくれないので、どの話にしてもそのルールに矛盾しているということはなく後から見てみればそういった片鱗が見えるとは思いますけど、(一話のお疲れ様会のネタばれですけど、梨花ちゃんがオヤシロさまは悪い人ではないと思うのです、とか言うのを最近見つけて吹きました(もちろんこれを推理に入れられるわけないですが))複数の世界を見せてという構成もあり、謎を解けるように伏線などをきちんと配列していくということはあまり上手く出来ていないんじゃないかなとは思います。
謎を解けと言い、その上で回答があるのだから、それまでに示されているものを見れば解けるようになっていると思うことは普通だと思います。この辺はやはり宣伝の仕方の失敗であったのでしょう。


また、その一方で回答をすると約束されたからこその盛り上がりというのもこの作品の特徴ではないかと思います。
今までの設定考察ものは答えが出ないのである程度のところで納得するしかなく、絶対に完全な解に辿り着くことはないのである種の徒労感がぬぐえないのですが、ひぐらしの場合は答えが出ることが分かっているためある種安心して(無駄になることがないので)考えることができます。
その安心感がそのゲームについて考えることを促進させ、これだけ大きな反響を得たのではないかと思います。


これはあくまでこう見たほうがいいんじゃないかという個人的な提案みたいなものなんですけど、論理的に解くことが出来ないとか、問題自体がはっきりと定義されていないとかそういったミステリー的な問題が出てきたことは、これが設定考察ものの一種であり、それに解答が後で公開されたからだと考えればそれなりに納得がいくのではないかと思ったので。