智代アフター

WEB拍手で(CLANNADでは起きた「奇跡」が智代アフターでは起こされないことについてどう思いましたか?)というコメントが来たので、ちょっと考えてみようかと


(ネタばれします)
「奇跡」が起こるのには何らかの理由が必要(CLANNADの幻想世界とかKanonのあゆとか)であっても、今回は超常現象的な起こりえないことというのはほとんどなかったので、起こらないことには特に理由はないとも言えます
CLANNADは渚や汐を助けるために町の幸せを集めるというゲームでもあるので、「奇跡」を描こうとするならそれなりの大きな舞台が必要なんじゃないのかなということを思ったりもしています


でも「奇跡」を「通常起こり得ないと考えられている現象」
臥猫堂さんKanonレビューより)とするなら、結婚指輪を見せられたシーンで朋也が智代に「愛してる」と言ったのは確かに「奇跡」だったと思うんですよね
朋也は中学生までの記憶しかないのだから、本当だったらそうなるのはおかしい
だけど、朋也は

おれと智代は、愛し合っている
ずっと前からそうだったと信じられる

と思う


そこにいたのは朋也と智代だけで、CLANNADの町の幸せとかAIRの千年の歴史とかそういった大きなものはありません
だから、その「奇跡」というのも小さくならざるをえないと思えるのですが、記憶がなくて思い出せないはずの思いが分かったという、その後に待つ運命を変えることも出来ない小さなものであっても、二人にとっての掛け替えのないもので、それは「奇跡」の名に値するのではないかなと思いました



というところでどうでしょう?
こういう回答を求めていたんじゃないとか言われそうですが(汗
この作品と「奇跡」でこんなことを思ったということで