Fate/hollow ataraxia

id:simula:20051115でhollowは本編の補完っぽいとかそんなようなことも書いたんですけど、ちょっと別の方向からそれを書いてみようかと


9791さんのエントリ

そこにはプレイヤーの意志は勿論、主人公の意志すら存在しなかった。彼等は己の責務と望みと感情によって、結果的に“団結している”ように見えるだけなのだ。

に対する部分的反論も兼ねてます
(以下ネタばれします)


hollowにおいて、士郎の出番って結構微妙で、最後なんかむしろ出て来ない訳ですけど、ブロードブリッジで、皆をぎりぎりのところで繋ぐ役目を果たしているんですよね


アンリマユは士郎の正義の味方をしようとした心に惹かれたために、
セイバーは士郎の間違ったものを許しておけないという在り方を守ろうとし、
凛は士郎のその愚直さが放っておけなくて、
桜は士郎の場所を守ろうとし、
イリヤは士郎の在り方を受け入れ、
キャスターは士郎の在り方に葛木を見て
カレン、アーチャー、ライダー、葛木(小次郎)はそのパートナーと意思をともにして
楽園を否定することとなる戦いをします


もちろん彼ら自身の在り方、意思によって戦うというのが大きいのですが(特に最後の四人(五人)なんかは士郎そのものよりもそのパートナーのためというのがメインの理由ですし、僕の主な読み方もこっちなんですけど)、それを繋いでいる、蜘蛛の糸のごとく細い糸を手繰った先が士郎なんですよね
その意味でhollowもやはりFateの主人公である士郎の存在(実際にいるかどうかではなく、その周りに与える影響)が鍵を握っているとも言えます