うみねこにおける真実の扱い

うみねこEp8が終わったので、個人的まとめ。ネタばれとか普通にしてるのでご注意を。


うみねこのなく頃にという作品の最上級におかれる価値観は「知らない方が良い真実については知らない方が幸せになれる」というものです。これだけだと同じ事言っているだけですが、この反対に置かれるのが全ての真実は明らかにされるべきだということになります。


後者の象徴がエリカやEp8の「手品エンド」の縁寿です。エリカであれば恋人の浮気という「真実」を明らかにしてしまったために別れなければならなくなったこと、手品エンドであれば、ベアトの魔法を手品であるのを指摘したことであったり、周りの意図を指摘し、そのことによって人間関係ごとぶち壊し彼女自身も含め不幸にしたことです。そういった意味を込め、探偵としてのエリカは知的強姦者と呼ばれています。


それに対して前者側である魔法エンドは事件の真相を不確かのままにし猫箱に閉じ込めることにより、少なくとも今生きている縁寿は親戚や家族一同を肯定し、幸せな人生を歩むことが出来ました。そして真実を明らかにすべきかどうかについてエリカと戦人の問答があります。

エリカ「くっすくすくす!ないでしょうね!1986年に何があったってなくったって!1998年に生きる縁寿さんには何の変化もない!それが知ることの無意味さです。ですが、1つだけ変えられることがあります。」
戦人「それは何だ。」
エリカ「どう生きるかです!!」
中略
戦人「そうだな。人は知ることで、どう生きるかを変えることもあるだろう。……ならば、俺は肉親として願う。縁寿が、俺のゲームの末に、より良い生き方に人生を変えてくれることをな。」

この後、「縁寿が真実を欲する行為は、真実の内容そのものと無関係に、有害なのだ。」と続きます。ここでは真善美より人の幸せの方が肯定されている訳です。そして、その直前にアウアウローラによって人は知る前には戻ることは出来ないと言われています。
つまり、うみねこのロジックは大前提として現在以降の人の幸せがあり、それが最大限追求されるべきであり、過去、あるいは真実を追求することがそれを妨げる場合にはそれをすべきではないというものになります。


ということで、うみねこのなく頃にという作品で描くべきは六軒島の真実ではなく、登場人物、つまり現在の生き残りである縁寿の幸せの追求ということになります。真実を明らかにすることは身内に殺人犯がいることを確定してしまったり、彼らが本当はいい人たちだったという可能性を潰してしまいかねません。そのため、あえて不確かのままとする必要があります。Ep8は戦人と縁寿のゲームだと言われるように、全体的に戦人から縁寿への説得であると思っているのですが、こう考えるとこの形になったのは作品としての意図としては一貫しているかなと。
不満がないでもない*1のですが、作品の意志としては統一されていると思います。

*1:というか凄いいっぱいある