AURA ~魔竜院光牙最後の闘い~ 田中ロミオ
- 作者: 田中ロミオ,mebae
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2008/07/19
- メディア: 文庫
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宴は現実によって終わってしまうという、つまり、これだけの狂騒、非日常の中でも現実はあくまで現実として受け止める*1ところまで含めて臨床なのかなあとか思いつつ、面白かった感想にリンクしながら思うところを。
http://d.hatena.ne.jp/rulia046/20080719/p3
戦士の格付けとか、ランクを意識しながら読んだらいろいろと面白く読めました。
例えば、戦士たちを立派に導けるなんて言う重度の妄想に身を浸しながらも、それと同時に学校での権力を握るどりせんとか、「こんなものはパラノイアの気でもなければとても完成させれれないはずだ」*2とまで主人公に言わせる妄想力を持つ、街に都市伝説を流行らせた久米さんとか。もちろん良子の最後のあれもそうですが、この人らの妄想力って、現実で何がしかを起こし得るくらいのものなわけですよね。
何かの元ネタありきでしか妄想すら上手くできない人等とは違うっていうのが、なんていうか凄い*3なとか。
http://d.hatena.ne.jp/evataka/20080718#p1
臨床というのが具体的にどの辺りを指しているのか分りにくいのですが、自分なりに考えてみます。
純度の高い妄想の方が強いというのはruliaさんが言っていると思うのですが、良子の現実否認度=妄想没入度ってかなり高いですよね。白い学生服を着てる人が授業中には普通の学生服に着替えるなんてエピソードがありましたが、現実を意識して、妄想を貫けない場合その純度は低いです。それに引き替え、ずっと妄想に身を浸している良子の現実否認度はほんとうに高い。その分、症状としては凄く重いです。
でも、最後あたりの金を渡すところとか、ある意味現実に屈することだと思うんですよね。妄想の中で価値が高いのは、その妄想の中で価値が高いと認められるものです。もちろん、現実で価値を持つ金なんてものは*4価値を持たない。妄想に殉ずるならば、自分の好きな人に提示すべきは妄想であるべきはずで。でも、彼にとっては現実の金の方が価値が高いとしてそれを渡してしまうことは、この世界*5では自分が最も価値が高いと思っているものがそうではないかもしれないと認めてしまうようなことです。現実を否認することによって成り立つ、妄想の純度を下げてしまうということにもなるし。
こういったことなんかも、現実を見るという臨床のプロセスではないかなとか。
んで、僕の妄想。
「わくわくするような非日常があるなら……俺、見てみたいんだ」
ではなくて、
「……この世界にだって……英雄や勇者や魔女は存在できる」
な訳ですよ。Do It Yourself、ドイトという迷宮を探検するとかで、「おもしろき こともなき世を おもしろく」として。どりせんとか久米さんとか現実を妄想色に染め上げて面白くしてるわけです。僕は、ある意味人間力ってこういう現実にも意外とある面白いものを見つけるとか、なければ作ってしまうとか、そういった精神のことだとか思わなくもないのです。
つーことで僕も自分のことについて、もうちょっと妄想のように面白く生きられるようにしたいとか、改めてそんなことを思いましたよ。
リアルに現実から逃避して、全力で感想を書くとかいう妄想行為を行いつつ。