ef - the first tale.

ネタバレです。


おとぎ話は、一つじゃない─と言っているとおり、割りとこう、「絵になる」のを意識している感じがして、そこが個人的にはちょいひっかかるかなと思います。


のりさんは「問題は、ギャルゲ的なけれんを極度に抑えたこの作風で、これが商売になるのかということか」と言ってますけど、僕の好みから言うと、演出はもっと抑えていいと思います。このゲーム、とにかく夕陽とか日の光が綺麗だとか、音楽がいいというか、こちらも綺麗と言うべきものであるとか、印象的なシーンとかセリフがたくさんあるんですが、逆にありすぎる気がするんですよね。陽の光が綺麗とか、音楽が綺麗だからというのは感情に訴えかける力をすごく持つんですが、多いとやっぱり一つ一つの印象が落ちてしまうと思います。やるんだったらここ一番で、とでもいいますか。まあ、演出の質がすごく高いからの問題ということなんですけど。なので、優子のキャラクター性なんかについても割とネガティブです。それっぽいこと言い過ぎなので。

俺はただ、1カット─いや、1コマでもいい。
身体が震えるような、いい画を撮りたい。
目指すものはそれだけなのであり、他人の評価なんて二の次だと思っている。


とはいえ、すごく気に入っているシーンが一つあるんですが、みやこが教室にいて、それを見た鉱くんが「絵になる」と思ったところです。
一章の特徴として、考え方も価値観も正反対と言っていいくらいの二人が、自分にないものを相手に見て取って、強く影響を与え合うんですが、そのときに相手にすごく大きなものを見ます。
例えば鉱くんは、

あいつなら、俺も気づかなかったような選択肢を差し出してくれるかもしれない。
自由に、思うがままに生きているあいつなら─

とか

みやこには、ただ不可解さだけがある。
まるでとらえどころのない、あまりにも自由でありすぎる存在。

と言うんですが、はっきりいって言いすぎです。みやこが

どこにでも行けちゃうっていうのは、どこにも居場所がないからだよ

と言うとおり、その自由は万能なものでは決してなく、それにはそれの悩みがあります。
でもやっぱり、そうしたものを「見て取ってしまう」訳で。
鉱くんは教室でみやこの笑顔を見て、
「世界が漂白されてしまったかのような感覚が、弾けるように広がっていった─」
なんて凄まじい表現をするんですけど、傍から見たら教室の入り口に立ってる鉱くんとみやこが見つめあってるだけです。そのシーンで、窓の外を見つめるみやこを見る鉱くんを、「教室から出てきた女子が、俺に胡散臭そうな目を向けてくる」のですが、その印象は正しいと思います。でも、鉱くんの視点を通してみれば、上に挙げたように見えたわけです。だから、ここが「絵になる」*1のは、「絵になると鉱くんが思ったから」なんですよね。そういうのなら、絵になっても受け入れられるというか、積極的に受け入れたいなと。


まあ、こんなこと言う輩は僕くらいかもと思うんですが、マイノリティーを目指すminoriのゲームの感想だけにいいでしょってことで。

*1:これ自体、絵になると思わない人のほうが多いかもとも思うんですが