麻枝作品における家族

cogniさんのところ見ててずっと考えてたんですが、個人的には「家族」という言葉の一般的な意味から麻枝さんの描く関係性を考えるのってどうなのかなあ?とか思っていたりします。
いろいろとネタバレをしつつ。


そんなことを思いつつ、「CLANNADから遡って読み込む形で「家族」を見出す」について考えてみたんですが、「業」とか「個人の思い入れ」あたりじゃないかと思います。
「業」は、切っても切り離せない、そういうものというイメージです。
CLANNADで言うと、直幸と別れた後も直幸が逮捕されることによって職業に影響が出る辺り。AIRだと、血縁的なものとしての翼人の呪い。本人の意思とは関係なく、「そうあるもの」という価値判断抜きのものかなと。どちらにしろ、家族というより親と子と言う方が適切な気もしますが。


「個人の思い入れ」の方は、CLANNADで秋生さんが親は子に夢を託すことができる*1というようなことを言うんですが、これってはっきりいって、一般的な家族がどうこうって話じゃないと思います。思いの強さはただその個人に支えられていて、たまたまそれが「家族」という関係性によるものだったということなのではないかな、と。
ONEの七瀬の「乙女」とか、椎名との「恋人」ごっこみたく、その「乙女」とか「恋人」という概念自体がなんであるかではなくて、それに対して個人が何を見出すかという感じで。だから僕としては、血縁的であるかとかはさほど重要でない*2とか、もっと言ってしまえば「家族」であるかどうかというのは、麻枝さんの作品においてはそれほど重要ではないのではないかと思います。


まあ僕がどうこう言うより、それこそ、麻枝マスター今木さんのとこを見たほうがいい*3という気がしないでもないですが。

*1:上手い表現が見当たらないんですけど、子供のために自分の夢を犠牲にするということがあったとしても、それは犠牲ではなくて、その子のことを新しい自分の夢とすることができる、みたいな

*2:こういう言い方をするときって、実際には家族でない場合に使うことがほとんどだと思うんですが、この場合は家族であってもだと思います

*3:リンク先0202全部