Gift 〜eternal rainbow〜感想 その4

ネタバレでGiftについて。
ゲームの方はやってないんですがって前提でお読みくださいなのですが、ゲームのライターがD.C.の呉さんっていうのは結構分かる気がします。個人的には霧乃が妹になろうとして失敗する話*1として見ると、何処へ行くの、あの日がイメージされて萌えるとかあるんですが、今回はD.C.で。


送られたGiftによって育ってきたのだけれど、それが成長とともに合わなくなってしまったとき、それまで自分がそれに支えられてきたことを自覚しながらも、そこから独り立ちする、つまり自転車の補助輪という話です。


このアニメのいいところは、Giftが完全に否定されるわけではないという所だと思います。もちろん、Giftによって莉子が記憶を失うことになってしまい、それを消すことになるということで、否定するという意味合いはあるとは思うんですが、僕としてはこれを否定とはあんまり呼びたくないと思っています。
その理由として二つくらいあるんですが、一つ目はGiftが消されることを折り込み済みとしていることです。

「母さんは分かってたんだ、いつか俺がGiftを消そうとするって」
「そうだったんだ…」
「ずっと待っていたんだと思う、俺が自分の足で歩き始める日を」

補助輪の例えを出しましたけど、補助輪を外すことはそれがいらなくなってしまったこと=その存在が否定されることと見ることも可能かもしれないですけど、補助輪の役割がそもそもそれなしに乗れるようになることなので、補助輪を外すということはむしろそれが正しく役割を果たしたと言えます。
二つ目は消されてしまっても、それによって今がなりたっていることです。

「この力は人と人とのいろいろな繋がりをあなたに見せてくれるわ」
「嬉しさや笑顔。悲しみや涙。生きる上で一番大切なことを」

つまるところGiftの役割は、それによって幸せを手に入れるという直接的なものではなく、それまでの自分を形作るきっかけです。そのきっかけによりできた自分やつながりというものは、Giftがなくなってしまっても消える訳ではないんですよね。つまり、Giftが消えてしまっても、その価値はなくなってしまうわけではない。
あと、霧乃の糸電話なんかもこの辺の話と近いですね。なんていうか、単純にそれが否定されるという話ではなくて、否定されてしまったとしてもその大切さというものはそう簡単になくなるわけではない、ということで。
ここあたりの描かれたものはかなり素敵だったと思います。



こんな感じのことを思って、いい話だとか思っていたら、ラストで水ぶっかけられました。えーっと…、あれだけきっちりエンドマークを打ってるんだからやらない方がいい、というかむしろやるべきじゃないのでは?と思うのですけどねえ。
今までやってきたのを壊さなければ一応いいので、はっきりと別物であることを前面に押し出してやるか、あくまでぎりぎりのところで線を踏み越えないようにやるかのどっちかですけど、あんまり利点は見当たらないのでほとんどリスキーなだけに見えます。

*1:妹になりたかったってどっかで言ってましたよね